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留学生活編「銀行に両替に行く。私は、换钱ホアンチィエンと中国語で両替の事を言うと、直ぐに护照フージャオ(パスポート)と言う声が聞こえました。」116番目

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午後から、私は、(兴业银行シーンイエイーンハーン)と言う銀行に行き、自動ドアーを入ると直ぐ左側にガードマンが1人立っていました。

其の前を通り、来店の要件を押して番号札を貰うために、私は。受付の2人の中国人の若い銀行員の制服を着て座っている前に設置してある自動の機械の前へ行きました。そして、押して出て来た358番の番号の紙札を手に持ち、受付の横にある客溜まりの椅子に腰掛けて待つことにしました。

今日はどこの窓口へ呼ばれるのかと思いながら待っていると、アナウンスが流れまた、窓口の上のランプが点灯しているので、あそこへ行くのだなと思いながら、其の指示された左から2番目の窓口へ行くと、防弾硝子の向こうの1人の女子行員が、無道さに手で押した音声が、其の女子行員の心とは裏腹に機械から愛想よく自動的に流れて「欢迎欢迎ホアンイーンホアンイーンようこそいらっしゃいました」と言っていました。

私は、换钱ホアンチィエンと中国語で両替の事を言うと、直ぐに护照フージャオ(パスポート)と言う声が聞こえましたので、私は、大切に胸の奥にしまってある首から提げた黒い丁度パスポートの入る専用の袋から、1冊のパスポートを出して、自分の目の前にサッカーボールを半分に切ったような形のステンレスの中へパスポートを落としました。すると、すぐに向こうの女子行員の手元に届くようになっていて、パスポートを掬い取り揚げて女子行員は、まじまじと私のパスポートを開いて眺めてから、パソコンで私の紹介を見ているようでした。

数分が過ぎて、金額を聞かれたので、私は、1万円札1枚を落として入れると、其の女子行員は、直ぐに1万円札を取り上げて、私に右の方へ行くように指示をしました。何時も通りに偽札かどうかの機械に私の1万円札を私の目の前の防弾硝子の向こうで其の女子行員が2回機械に1万円札を通して、間違いなく本物の紙幣と確認され、私は、元の座っていた場所へ戻りました。

数分後、私の目に前に書類が向こうから落ちて来たので、私は、その書類を拾い上げて、其の書類に今いる住所氏名携帯番号を記入してまた、落として入れて前にいる女子行員へ返しました。

そして、ようやく、中国紙幣が見えたので、これで終わると思いながら待っていました。数十秒後に中国紙幣100元紙幣7枚と50元紙幣1枚と10元紙幣1枚と小銭数個が、向こうから落ちて来て、私は、それらを受け取り私が貰う控えの領収書と照らし合わせながら、確認して自分の財布へ入れてこの銀行を後にしました。

13時から、2回先生の都合で授業が休みになった「聴力」の授業に出るために私は、急いで宿舎の寮へ戻り、授業を受ける準備をして教学楼2階の教室へ行きました。
何時も毎週火曜日1回授業がある「聴力」は、先生の都合で何回か変更になりました。今日は水曜日午後1時から、変更になった「聴力」の授業が有りましたが、私が、教室へ行って見ると、韓国人の30歳代の女性で、少しポチャリとした韓国にいる時に幼稚園の先生をしていて、また、中国で幼稚園の先生になりたくて、大学から少し遠い場所にある4人で家賃を出し合い一部屋を借りている時々朝ごはんを教室でパンやバナナを食べている人の良さそうな金さんが、1人教室に入って左側の前から2列目の2人掛けの机の一番端に座っていました。それに、先生も来て見えました。

しかし、後は、私1人しかいなくて、授業が始まって10分ぐらいして、福田さんが見えました。結局、授業が終わるまでに後は誰も来なくて、たった3人で、LL教室で中国語のテープを聞きながら、先生からの質問の数が何時もより多かったのですが、私は、クラスメートの韓国人の女性の李さんから、予習の大切の事を聞いていたので、今日の授業の箇所を予習していましたので、全て先生からの質問は、予め答えをテキストに書いて置いたので、迷うことなく授業が聞けて事に少し満足をしていました。

授業終了が、金さんが、私に、この教科書のテープ持っていますかと聞かれるので、私は、福田さんは、持っているのと聞くと持っていないと言うので、金さんが、私達2人を2階のLL教室出て直ぐ左に曲がり、真っ直ぐ歩いて行くと真ん中の右側に割りと広い私達の初級2班の教室が3つか4つ位入る広さの部屋があり、そこには沢山の書物がきちんと整理整頓されて本棚に並んでいました。

そして、1人の50歳代位の中年の中国人の女性が座って見えました。其の女性に、金さんが、「聴力」の教科書のテープ有りますかと聞いてくれて、私は、3本のテープを購入しました。金額は、はっきりと覚えていないのですが、30元位(日本円で、450円位)じゃなかったかと思います。

14時50分から、15時50分まで、遼寧師範大学研究生2年生の(中国語で、文丽老师ウエンリーラオシー)ウエンリー先生の家庭教師会話学習がありました。
今日は、私の日本のペットの猫の話を中国語で会話紹介することになり、日本語で頭の中で考え、日本語式中国語を適当に組み合わせて、何でもいいからということで、中国語で話すのですが、先生には、なかなか通じることなく、途中で何度も何度も中国語で「文丽辅导老师说「什么意思?」ウエンリーフーダオラシーシュオー「シェンマイース?」日本語で、ウエンリー先生が、「どんな意味?」と聞かれるので、私は、中国語で説明しきれなくなり、先生が日本語も解るので、私の家の猫は、私を朝起こしに来る時に何時も同じ時間に来て、私の顔の鼻を噛むので、猫の歯は尖っていて痛いから、直ぐに起きるのですよ。

また、猫がご飯を食べる時には、呼びに来るのでいつも一緒に傍についていて、猫がご飯食べるのをじっと見ていないと食べないから付いているのです。そして、夜は、猫が私の膝の上で丸くなり気持ち良さそうに眠ってしまうのです。とウエンリー先生に説明して、中国語に直して貰いましたが、中国語に直しながら、先生は、クスクス笑って見えました。

16時からは、18時まで、遼寧師範大学日本語学科の4年生の女学生の髪の毛が長いらしく後ろで丸く束ねて、黒い縁の眼鏡を掛けた利発そうな大学院へ進学するため毎日朝6時から夜11迄勉強している周さんと相互学習(中国語で、互相学习フーシアンシュエシーと言います。)をしました。しかし、今日も、同じ日本語学科の4年生で卒業後就職する事に決めているから、アルバイトをしている女学生の郭さんは休みと言う事でした。
周さんから、質問と言う事で、今日は、「障子」について教えて欲しいと言われました。

私は、持っているノートに障子の絵を描いて説明をしました。今は、日本において建てられている家は、殆ど此処30年位は障子を造らない家が増えていて、私が、子どもの頃には、正月を迎える時に12月の終わりごろに、格子になっている障子でまだ破れていない部分を破って綺麗に取るのが子どもの仕事でよくやったものです。そして、格子の木の部分に糊を刷毛で塗って、其の上に新しい障子紙を貼り付けるのです。また、障子の部屋の外には、廊下があって外との仕切りに硝子があり、雨戸が付いている。つまり、廊下があることで、冬は、寒さを押さえ、夏は、暑さを凌ぐ役目があるのですと話しました。

すると、周さんは、今度は、ついでに、「畳の京間と江戸間」について教えてくださいと言われました。
私は、よく知っているねと聞くと、日本の歴史の授業で習っているとのことでしたが、余りよく解らなかったのでと言う事だったので、私は、また、ノートに京間と江戸間の絵を書いて、京間の方が江戸間よりもやや大きいことを説明して、京間は、一般家屋に使われ、江戸間は、アパート等の部屋の畳に使われている事を話しました。

19時30分から、20時30分までは、交通大学の背の高いお洒落な気品のある黒い長いコートを着て丸い黒い暖かそうなロシアの民族帽子の様な物がよく似合う前歯が1本無くなっている素敵な女性の郭先生の家庭教師発音学習をやりました。
しかし、私は、宿題が残っていたので、今日は、発音の練習を15分位して、宿題を先生に見てもらうことにしましたが、いつの間にか、私は、先生の声が子守唄に聞こえてしまい何時しか深い眠りに入ってしまい、我を忘れていました。

先生の声で、我に返って時間を確認すると、すでに20時30分になっていました。また、宿題を郭先生が、やって置いてくれたらしく、全て鉛筆で記入済みになっていました。

朝食7元 昼食5,5元 夕食5,5元 合計、18元(日本円で、270円位です。)

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