ぼくらの仮説が世界をつくる
編集者・佐渡島庸平が2015年に出版した本。
文庫化されてたので読了。
佐渡島傭平とは
もともと講談社にいて、
「ドラゴン桜」「宇宙兄弟」
などを手がけたことで有名な方だ。
その後、
コルクというクリエイターのエージェント会社を創業。
今はそこの社長をされている。
私は10年ほど前、
ほんの少しだけ接点があったので
名前とお顔はよく覚えていた。
クレバー&クリーン。そんな印象。
そして、自分の口から出ていく言葉を高価な骨董品のように丁寧に扱う、
そしてそこに責任を持つ、そんな記憶がうっすらとだが、ある。
そして私はそういう人にはもう、理屈抜きで憧れる、惹かれる、
そういう体質。
サピオセクシャルとまではいかないまでも。
心に刺さった言葉を紹介
「情報→仮説→実行→検証」ではなく
「仮説→情報→仮説の再構築→実行→検証」
ビビッときました。
多くの人がこの落とし穴にはまるから。
私がやってしまいがちなのは、
何はともあれまずは情報収集。
集めて、集めて、集めて。
集めた資料にザザッと目をとおす。
(量が多いのでむろん熟読はできない)
ここでさらに、完璧主義的傾向が強い人は(私だ)、
どれだけ集めても何か足りない気持ちになってしまう。
関連する情報の全てに目を通さなければ、
先には進めない、進むべきではない。
そんな脅迫観念に襲われて、ソワソワする。
そして、そのうわついた気持ちのまま、
集めた情報で仮説を構築しようとする。
その時点で、
私たちは世界を変えることなどできないのだ。
そこにあるのは、
すでにある情報の、
整理の仕方をすこし変えただけの仕事。
言ってしまえば、wikipedia編集的仕事だ。
大切なのは自分の価値観なのだ。
日々の生活の中で自然と集まってきた情報。
過去の記憶、自分の感覚。
それらをパズルのピースに、仮説を組み立てる。
そこに、時代性、新しさ、オリジナリティが宿る。
私はそう解釈した。
でも、
みんな自分に自信なんてない。
なぜなら、
まだ自分は何も成し遂げていないものだからだ。
そんな自分の中から生まれたものに価値があるわけがない。
誰もがそう思ってしまう。
だからファクトに頼る。
データ、エビデンス、実績、偉い人の言葉。
それらに仮託して、仮説を構築しようとする。
でもそれをやっている限り、
今も、これからも、何も成し遂げることはできない。
永遠に、何者かになんてなることはできない。
自分を信じる気持ちが、世界を作る
私たちはもう少しだけ、
自分自身を信じてみてもいいのかもしれない。
自分の人生に蓄積されてきた経験、記憶、情報。
そしてそこから紡がれる感性、感覚、言葉。
それは絶対的に唯一無二のものだ。
自分と同一のものを持っている他者は、
この地球上にはいない。
ただのひとりもいない。
そこから生まれてくるもの、
いや、そこからしか産めないものが、
あるのかも知れない。
そんな希望をもらうことができた一冊。
庸平、ありがとう。