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米中の外相会談が終わり、妥協できる面は見えませんが、トップ会談の道は見えてきた印象です。
中国はコロナ3年の経済への影響は根深く、経済回復には今一段の時間を要する様子ですし、米国もピークアウトの兆しはあるもインフレが続き、経済面だけみれば、米中対話は望ましいように思えまので、秋のトップ会談は時期尚早という見方は現段階では根強いも、サプライズはあるかもしれません。その流れの中では、日中トップ会談も模索されそうな気配です。

なお、6月も後半ですが、まだ、タイの新政権がどうなるか見えず、気をもんでいる方も多いかと思います。第一党になった前進党の党首ピタ氏の禁止されているメディア株保有問題、第二党となった貢献党では、タクシン氏の次女のぺートンタン氏がいざとなれば首相になる用意があるとの発言もあり、なかなか話がまとまらず、水面下での軍の足の引っ張りがあることは明白でしょうが、ピタ政権が船出できるか否かは、しばし注視が必要そうです。船出できない場合は、支持する若者の反発が出てくる懸念もあります。

そのようなタイですが、第二次大戦後直後のタイ、ベトナムなどのメコン地域はどのような情勢だったのか、個人的に知りたいと従前から思っていました。全く意外な形で、そこでの記録に資する文献を見つけました。

大本営参謀だった辻政信氏の著書「潜行三千里」です。

この方は、いろんな評価のある方ですので、軍人としての評価はひとまず置かせてください。単純に、「潜行三千里」は、現地の記録、広域アジアの洞察という点で、他の例を見ないほど優れていると感じました。よほど詳細な日記をつけていなければ書けない内容です。実際には日記は書けなかったでしょうし、当書のベストセラーで国会議員になられているので、盛られてる部分は相当程度あるとは推察されますが、それでも戦後のインドシナの記録としては、極めて貴重な内容であり、情報参謀ならではの洞察がちりばめられています。

敗戦した日本軍から、辻政信氏は潜行というより、実質逃亡するわけですが、そのスタート地点はタイのバンコクなのです。日本軍に与していた当時のタイは、イギリス寄りにシフトしていきますが、その中でも、日本寄りの気質が残っている様子がよく描写されています。次に、ラオスを経由してベトナムのハノイへ、ベトナムには、国民党政権下の中国が進出するなどの動きが詳細に書かれています。

さらに、一時の国共合作後、再度、国民党と共産党がいがみあう中で、中国の国民党が本拠地として重慶から戻った南京へ。そこでは、北方で共産党との戦力争いに苦戦する国民党のサポート役として軍事顧問的な働きもしますが、最終的にはそれはうまくはいかず、最終的には日本に帰国となります。

いろんな評価があることも置いて、このような記録が残されたことには大いに意味があると考えます。内容的に、かなり時間が立たないと、もしかしたら永遠に映像化はできない内容です。その先人の記録から、周囲の大国に合わせて生き延びるしたたかなタイ、南下のDNAのある中国、さらに国内為政者がどう変わってもこれまたしたたかに生き抜く中国市民の姿がうかがえます。

辻氏は、日本の南進が失敗の原因で、北進すべきであったと考えていたような印象を受けます。それもまた一旦置いて、自身の経験を記録に残すことの重要さ、各国のDNAを理解することの重要さを再認識した次第です。














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