見出し画像

アジア通貨危機から25年 今は昔の話か否か(1)

梅雨が思いっきり早く切り上げになり、雨不足、電力不足、食料・燃料高の夏になってしまいました。人為紛争でさえ止められないなかですが、気候変動がやはり最大級の懸念といえそうです。梅雨明けの原因は太平洋高気圧の張り出しですが、それを促したのはラニーニャ現象との見方が濃厚です。

ラニーニャ(その反対の現象がエルニーニョ)の原因はよくわかっておらず、その周期もまた明確にはなっていません。他方で、地球温暖化によって、海水の周期的な温度差が大きくなり、これが極端な猛暑と寒波を呼ぶという研究もあります。実感としては、その様相に近いづいている感は否めず、最大限の注視が必要です。

前置きが長くなりましたが、もうすぐ7月、もう四半世紀前ですが、当時ASEAN主要国は激震に見舞われていました。いわゆるアジア通貨危機です。7月2日、投機筋にバーツ売りを浴びせられたタイは、固定相場制を維持するための外貨準備を使い果たして、とうとう変動相場制に移行しました。それ以降、ASEAN主要国は、ドミノ倒しのように軒並み変動相場制に移行していきますが、通貨安は、輸入物価高を招き、さらに外貨建て債務返済を困難にして、経済的に行き詰まっていきます。

日本や西ドイツ(当時)などの先進国は、1972年に米国がドルと金の等価交換を停止(いわゆるニクソンショック)して以降、固定相場制から変動相場制にシフトしていましたが、ASEAN主要国などの新興国は、その後も固定相場制でした。

当時のASEAN主要国は相対的な高成長が続いており世界の成長センターとしてもてはやされ、為替変動リスクなしにリターンが得られることから、短期資本が流入していました。

為替のトリレンマという理論があります。固定相場制、自由な金融政策、自由な資本移動のうち、2つまでしか満たせないというものです。ASEAN主要国は、この3つを満たせるように振る舞っていたことを投機筋に見透かされ、大量の資本移動を行われ、長期資本ではなく、短期資本のため足早に逃げられてしまった結果、固定相場制が一挙に崩壊したともいえます。

中国やベトナムは当時も今も、資本移動を厳格に管理していますので、被害は限定的でした。ASEAN主要国は、マレーシアはマハティール首相(当時)の剛腕で資本規制厳格化で被害を抑えましたが、タイ、インドネシアは財政破綻して、IMFの支援を仰ぐ形(ASEAN主要国以外では韓国も)になりました。その後、厳しい財政規律を課されることになり、規制緩和を強いられ、財閥解体などの構造改革にまでメスを入れられました。

もっとも、切り下がった通貨を武器に、タイやマレーシアなど1999年頃からは、輸出主導で復活を遂げ、プラス成長に転じていきます。

出遅れたのはインドネシアとフィリピンなどで、特にインドネシアでした。長期独裁政権だったスハルト政権が崩壊して、ルピアは5分の1まで減価して、輸入インフレとなって暴動が発生します。加えて外貨建ての債務は、単純に5倍になった訳ですから、相当な倹約生活を余儀なくされた形になりました。2004年に初の大統領直接選挙でユドヨノ政権が発足し、2009年に2期目に入るまで、インドネシアは注目度が相対的に低い状態が続きました。

このように、アジア通貨危機後のASEAN主要国は、IMF主導で倹約生活に入ったと言えます。歳入を確保するのが容易でないなかで、支出を切り詰める他はなく、インフラなどの大型投資などを抑えるしかなかったということになります。

2000年代のASEAN主要国は、このようにアジア通貨危機の後遺症で自粛生活を送っていたことになりますが、2001年に中国がWTOに加盟すると、世界に開かれたと見込まれて世界の成長センターとして注目されるようになり、ASEANは、相対的に地盤低下していくことになります。

それでも、2001年にタイではタクシン政権が発足。タクシン政権は、内外需を促すDual Truck Policyを展開するようになります。外需促進のために、FTA(自由貿易協定)を積極化させ、内需促進のために、一村一品のような農村振興や農民の社会保障の充実策を打ち出し、数で勝る農民から絶大な支持を得ます。この結果、タイは、ASEAN主要国の中ではいち早く有望国に再浮上し、日本企業がASEAN拠点の再編進める中で、有力な選択肢となりました。ただし、タイは政治混乱の火種も内包していくのですが。

そして、今度は、2008年に世界金融危機を迎えることになります。

(2)に続く



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?