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アジア通貨危機から25年 今は昔の話か否か(2)

いつの間にか7月に入りました。
4月から環境が変わった方は、もうすっかり慣れられましたでしょうか?
周囲に、気軽に話を聞いたり、お願いしたりできる人は見つかったでしょうか?
気が付くと、いろんな係を拝命し、仕事+αが雪だるま式に増えたりしてないでしょうか?
コロナの影響は残っていますし、油断はできませんが、対面が増えて、完全オンライン以上に調整に手間取っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?

以上が全部Yesという方は、大丈夫です。もう慣れてきている証拠ですが、業務を受け入れるキャパの拡大にはまだまだ時間がかかります。ひとまず何とか、夏休みまで乗り切り、じわりとキャパを広げましょう。

さて、アジア通貨危機から25年、今回は2回目です。

https://note.com/koji_sako/n/n898faf242889

アジア通貨危機を機に固定相場から変動相場制にやむを已まれず移行し、IMFの監理下で自粛生活を余儀なくされたASEAN主要国ですが、今度は、2008年に米国が不動産バブルを自壊させて、世界的な投資銀行だったリーマンブラザーズの破綻を機に世界金融危機に発展します。

頼みの米国が、天変地異の大変なことになったため、通貨を切り下げて輸出型で復活を遂げていたASEAN主要国のうち、マレーシアやタイなどは、苦境に陥ります。いわば、輸出先の市場が蒸発した形です。

中国は、4兆元の内需拡大策を早々に打ち出して、内需シフトに舵を切りました。米国発の金融危機は、中国が支える形になったといえます。中国が世界的に存在感を高める契機になったのは、金融危機だったと言っても過言ではありません。

このように、金融危機の情勢下では外需に頼れず、内需を伸ばせるかどうかがカギでした。そこでASEAN主要国で耳目を集めたのは、しばらく注目されなくなっていたインドネシアとフィリピン、特にインドネシアでした。インドネシアは、自粛生活で、経常収支の黒字を維持し、輸出依存度が低かったことから、金融危機でもプラス成長を維持したことが世界の耳目を集め、さらに、2009年にユドヨノ大統領が再選され、政治的にも民主主義が定着したと見込まれたことも追い風になりました。

アジア開発銀行(ADB)が、アジアのインフラ投資による内需拡大を提唱、それから、アジアのインフラ投資ブームがやってきます。そして、その潮流に参画してきたのが中国、中国は、独自にアジアインフラ投資銀行(AIIB)を発足させ、多くのアジア諸国が賛同したのは記憶に新しいところです。

これらの流れは、ASEAN主要国を自粛生活から解き放ち、黒字を溜めこむだけではなく、黒字をインフラ投資に適切に使おう、それでも足りない部分は、アジア、世界で協調しようという流れができました。

ASEAN主要国の名目輸出先は、米国から中国へとシフトしていきます。2010年に日中の名目GDPは逆転し、日本は1968年に西ドイツ(当時)を抜いて世界第2の経済大国だった座を、静かに下りました。中国の内需拡大策が、交代の時期を早め、その契機を作ったのは米国だったという見方もできます。

2つの危機を経て、アジアの時代が到来し、アジアの内需が世界をけん引する、そんな姿が浮かに上がったのが2010年代のアジアといえるでしょう。

その(3)に続く



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