自分の性格、考え方

人からよく相談事とか話聞いてほしいって言われる。

自分は自分で何かすごい人であってためになる説法を解けるような知識も経験もない。
ただただ話を共感してその中でその人が何に困ってるんだろう、どういう気持ちなんだろうって考えているだけ。

それが悪いとも思わない。ただ、多様性という今の時代、全て許容する、自分以外のものをそれと許容することは人よりも得意な気がするが、逆に自分はどんな性格、価値観を持っているかわからなくなることがある。

今の世の中、特に日本はなんとなく社会規範とも言えるレールがあって、そこにうまくハマっている多数派でいることが重視されているように思う。自分はそんな社会の空気感、世間から求められているものをなんとなく感じ取って、それに従うことが大事と自分をそこに当てはめるように生きてきた気がする。
もちろん所々で自分の感情に従って選択もしてきたが、瑣末なことだけで、マクロの動きの中では流されて生きてきていると思う。

「周りに気を遣っていい子であることが正しい」「社会貢献に向かって、あるいは何か夢を持って何かに取り組むことが重要だ」「なんのための人生か考えて生きるべきだ」

多数派、あるいは成功者の意見がSNSなどを通してより風通しがよく勝手に届いてくる今の時代。
他の人の活躍、いいところだけを切り抜いた投稿や動画が嫌でも目につく生活。

生活するには楽すぎる世界。趣味をして自分の範囲で楽しむことも定職を持っていれば容易い。今の生活に不満があるかと言われたら特にないし楽しいとも思う。

ただ、何者でもない自分に嫌気がさすことがある。

脳噛探偵ネウロという漫画の中のXは今思えば、簡単に満たされるこの世界。多様化と言われつつ、個性の均一化が進んだこの現実の中で「自分とは何か、人生の生きる意味」を求めて奮闘する人を表していたのかもしれない。

自己啓発本を読んで、自分のキャリアや人生について書き出して考えて、何がしたい、どうなりたいと自分のうちなる言語と向き合うことは多々ある。

そこから出てくる答えすらも、その時には確かに自分の思いや気持ちを表しているように思うが、誰かのレールと同じことをいいとこどりして、なんとなく憧れていた姿、成功した人の綺麗な部分を追い求めているだけなのかもしれないと思う。

こんなことを書きながらなんだが、
自分の人生の目的は、「何かを成す、何者かになる」ではないような気がする。

ただ、自分の目の前の1日1日を楽しく過ごす。欲求に従って生きる。それだけな気がする。

挑戦を楽しいと感じる人もいるし、人に尽くすのが楽しいと感じる人もいる。何かを成功する喜びが嬉しい人もいれば、自分の欲求を満たすことで幸せを感じる人もいる。

どれもわかるし、どれも自分の価値観なんだと思う。

子供の頃から双子で育ったからなのか、今の時代のせいなのかはわからないが、圧倒的なナンバーワンになりたいっていう気持ちはない。圧倒的なナンバーツーになりたい。誰かを立てて、縁の下の力持ち的にバランサーとして活躍したい。

そんな気持ちがあると感じる。

結局は、レールに従って生きてきたが故に外れるのが怖いだけ、それが一番楽。結局はコンフォートゾーンの枠の中で生きることを選択したいだけなんだろうなぁ。

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