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マインドマップを作る意味って?

この記事を見て、かねがね疑問に思っていたことを書き出してみようかと思いました。


マインドマップのここが疑問


マインドマップの意義というのがどうも腑に落ちません。

  • マインドマップが「人間の自然な思考プロセス」を再現しているという主張に根拠はあるのだろうか?

  • そもそも発想を整理するのに「人間の自然な思考プロセス」とやらを再現する必要があるのだろうか?

そもそもマインドマップとは

この疑問を解消するため、まずは、マインドマップとは何なのかというのをきちんと調べようと思いました。

ざっくりと調べてみた

perperplexityでマインドマップについて簡単に調べた結果を示します。

https://www.perplexity.ai/search/maintomatuhunoding-yi-toyi-yi-WVvlFh4MTeu0lOsXRjZ1fg

結構うるさい本家のルール


「本家」らしきサイトもチェックします。

改めて疑問点をまとめると…

むしろ自由な発想を妨げているのでは?

マインドマップでは、最初に大きなテーマを考え、それから図を広げていきます。

この方法では、どうしても注目する方向が一つに限定されてしまいます。また、マインドマップというよりも樹状図の特性として、親が一つしか持てず、「親」と「子」の間に上下関係が生じてしまいます。

何かを初めて学ぼうとする段階では、西も東も分からないわけですから、それぞれの「子」がどれを「親」とするのか皆目見当がつかないというのが現実でしょう。見当が付けられているとしたら、すでにある程度の見解が自分の中に確立されているということです。

以上を考えると、マインドマップを書こうとする人は宿命的に自分が既にもっている認識・理解に頼ってしまうことになるのではないでしょうか。これは、新たな知識を付け足すという点では一定の意義があるかもしれません。しかし、新たな発想を得るというの方向性とは相容れないような気がします。

マインドマップは本当に「人間の自然な思考プロセスを反映」しているのか?

戦術のperplexity上でのまとめから引用します。

ただし、マインドマップが「頭の中で考えていること」を完全に忠実に再現しているという主張を直接的に裏付ける科学的証拠は限られています。マインドマップは思考を外在化し整理するための有効なツールですが、個人の思考プロセスの完全な再現というよりは、思考を支援し促進する手段として理解するのが適切でしょう。

https://www.perplexity.ai/search/maintomatuhunoding-yi-toyi-yi-WVvlFh4MTeu0lOsXRjZ1fg

私もそう思います。

そもそも、生身の人間の力だけでは難しい何かをやり遂げたいのなら、人間のやり方を模倣する必然性などありません。むしろ、人間にはできない方向のアプローチを導入することを考えたほうが明らかに効果的というものでしょう。

これに対して推進者側の主張を見てみると……。

トニー・ブザンが考える本物のマインドマップは脳の特性を生かした自然な思考表現であるため、創造性を高め、記憶や学習、発想などに高い効果を発揮します。脳本来の生き生きとした力引き出すことのできる大変有効な方法です。

https://www.mindmap-school.jp/mindmap/mindmap-law/#cc-m-header-8242207356

マインドマップは、頭の中で浮かんだ連想を、そのまま「見える化」したようなノート術です。

https://www.mindmap-school.jp/mindmap/why/

私はここまで50年余りの人生において数え切れないほどの「連想」を試みてきましたが、こんな樹状図を思い浮かべた経験はないですね。どこが「そのまま見える化」なのか、どこで「脳の特性」を活かしているのか、私としてはまったく理解しかねるというのが正直なところです。

彼らは、ことさらにこうした「脳の働きをそのまま…」というのを強調し、マインドマップに権威性をもたせようとしているようです。そこに、いわゆる「意識高い系」仕草を感じ取ってしまう私は捻くれすぎでしょうか?

過程が大切というが

見た目に凝りすぎると碌なことはない

学生さんは教室を見渡してみてください。卒業した皆さんは在校中のことを思い出してみてください。ものすごく真面目で几帳面で、きれいな授業ノートを作り、そして、その割には成績がパッとしない人が居ませんでしたか。

きれいなノートを作るために時間をかける。一日は24時間と決まっているのだから、「きれいさ」を追求するために時間を遣えば、本来の勉強に当てられる時間は当然に減ります。

また、こういう人たちは、得てして細部の仕上げに拘り悪い意味で手を抜きません。どうでもいいところに引っかかり、その分、より重要なポイントのチェックがおろそかになる傾向があります。

勉強にはメリハリをつけないといけません。視覚化は大いに結構ですが、それに時間と労力をつぎ込むべきではなく、便所の落書きのような図を描き、走り書きのテキストを添えておけば十分です。

目的がいつのまにかすり替わっているのでは

「きれいなノートを作る」人たちは、得てしてそれ最終目標にしてしまっています。そして、手間暇かけてノートを作ったことで充実感を味わっています。実際は無駄に手を動かしているだけで、肝心な部分の学習は不十分なままなのに、しっかり勉強しきったように、当人は錯覚してしまっているのです。

一方、ちょっと検索してみると、マインドマップを勧められて書いてみたもののなかなかうまくいかないという悩みを吐露した記事がいくつも見つかりました。

苦労すべきはそこじゃないんじゃないかなあ。やるべきことは勉強であり考察であり予習であり復習でありブレインストーミングであり瞑想でしょう。マインドマップはそれを推進するための手段の一つに過ぎないはず。合わないものを無理やり合わせるための試行錯誤に時間を遣ってどうするのでしょうか。

いずれのタイプの人たちも、手段を目的化してしまっているといえます。本質からずれたところに精力を投入してしまい本来なすべき考察が勉強がおろそかになるのは、本末転倒です。

アイディアを練りたいなら他にもっといい手段がある

新たな視点に基づいた新しい着想のようなものを求めるなら、マインドマップのようにトップダウン式に連想していくのではなく、ボトムアップ式に体系を組み立てていくべきです。

まずは、それぞればらばらで一見すると脈略も関連性もないように見える事柄をノートにどんどん書き出して並べてみるのです。それを眺めているうちに、少しづつ、見えなかった関連性のようなものが見えてきます。そうなったらしめたものです。これは、梅棹忠夫によって1969年に『知的生産の技術』という書籍で紹介された「こざね法」という手法に通じます。

その前段階としての「どんどん書き出して並べる」ステップは「ノンストップライティング」という手法にも通じます。時間を決めて集中的に書き出した文章をChatGPTに読ませれば、関連性検索のようなことも可能です。

おわりに

今回はだいぶんネガティブな内容の記事になってしまいました。

実際にマインドマップを利用して成果を挙げている人からすると酷く不愉快な記事かもしれません。

私としてはそうした人たちを否定したり批判したりする意図はありません。しかし、これが「自然で」万人が活用すべき手法であるかのように喧伝することを支持する気にはなれません。本記事ではそんな筆者の見解を正直に述べました。

読者の皆さんには、他の方々の意見も吟味して、ぜひともそれぞれ自分なりの結論を出していただきたいと思います。

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