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神とはどういった存在なのか

神様は、自分に似せて人間を作ったという。
「神はまた言いわれた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、』」。(創世記1章26節)
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1章27節)

これは文字通り、姿かたちを自分に似せた、ということなのだろうか。キリスト教では、神は霊であり肉体はない。神のかたちとは、人の非物質的な部分(精神的、道徳的、社会的)が似ている、と教えているようだ。
だがその考えは、人間側に都合が良い解釈な気がする。

そこで、自分なりに、人間に似た神のかたちを考えてみた。

人の脳は、意識を作り出す。
脳は水分、タンパク質、脂質などでできているそうで、そこに外部からの刺激を受け電気信号が流れると意識を宿すわけだ。
同じように豆腐も、水分、タンパク質、脂質などでできている。なら豆腐に電極をぶっ刺して、電流を流せば、その豆腐に意思は宿るのだろうか?

そもそも「脳」というただの物質に、電気信号が流れると意識が宿るというのが、全く無茶苦茶な話で、この理由を解明することは出来ないとされている。こういった、科学では解決できない問題を、SF用語では「ハードプロブレム」と呼ぶ。

どうせ解決できないなら、発想をもっと自由にしても良いだろう。

脳に電流が流れると意識が宿るなら、豆腐でも行ける可能性がある。なんなら成分が違っても良いのかも知れない。スマホの電源をいれれば、電気信号が流れるから、そのスマホは意識を持っている可能性がある。

いや電流ではなく、何らかの刺激なら何でも良いのかも知れない。壁に石を投げつけたときの衝撃や、音や温度、重力、あるいは光を当てたりするだけでも、そこに意識が宿るのかも。
つまり、人と人とが会話をしている間、そこにはその二人が作り出したもう一つの意識が生まれているのかも。

太陽の光が地球に届いたとき、太陽と地球の間で意識が芽生えているかも知れない。
光や電磁波、重力の影響で、数万光年離れた恒星間同士でも意識が芽生え、銀河、銀河団、超銀河団同士と、無数の意識を内包した巨大な意識が存在するのかも知れない。

そうして、この宇宙すべての意識を内包した、一つの巨大な意識を、「神」と定義するのはどうだろう。

人の意識はその神の中に内在する意識の一つであり、その有り様が神に似ているのではないか。

なんてことを考えていたら、「5億年ボタン」というアニメの3話で、似たようなことが解説されていた。

この宇宙にはブラフマンと呼ばれるただ一人の神がいるだけ。ブラフマン以外には何もない。この世界のすべて、水も空も鳥も太陽も人も、ブラフマンの一部が姿を変えてそのように見えているだけだと。我々の意識も、ブラフマンの一部がそのように感じられているだけに過ぎない。

宇宙とは神であり、神と人の魂は同じ存在である。これを理解することが究極の悟りだと。

ヤージュニャ・ヴァルキュリアというインド哲学者が、梵我一如(ぼんがいちにょ)という哲学でそういう事を言ってたらしい。
仏教の元になった哲学だそうで、紀元前8世紀くらいにインドで確立されていたという。

昔の人、そんな暇だったのか。

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