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ダゼロと私(OGNI:オーニー)の説明書

私はダゼロ(DA ZERO) の代表を務めておりますオーニーです
大学を中途退学して、何もかもそれまでの歴史(大したものはないが)を全て投げ打って、単身でイタリアに料理の修行に行ってしまいました!

イタリア語も初めて!海外も初めて!料理も初めて!と【3初】でドタバタのイタリア人間修行に行った時のことをこの "note" に書き記そうと思います!

俺

第1部はイタリア人間修行、第2部は事業の設立

【第1部】
イタリアに行くきっかけや、まあすんなりと行かなかったドタバタ劇を淡々と書き記せたらいいなと思っています。料理の修行で行った水の都ヴェネツィア、そこでは徒歩か船が生活の移動手段。そして水上バスに乗りながら眺めていた憧れの水上タクシー!いつかは乗ってみたい木製のクラッシックなボートはかっこよく、エレガントな交通手段。いつになったら乗れるのか…?
【第2部】
帰国して15年は惣菜会社に勤務。その後色々な経緯がありましたが、念願かなってヴェネツィアにいる時から憧れだった水上タクシーの会社を始めちゃいました。
木製のクルーズボート、ヴェネツィアを感じたいが故に、思いっきり大阪でヴェネツィアを表現しています!この事業の創業に至るまでのお話を書きたいと思います。

ザックリした出発点

1971年に埼玉で生まれる。
高校・大学と埼玉の学校に通う。
バイトに明け暮れた結果、大学は1年を裏表、2年も裏表という結果。
バイトはバーテン、ここから僕の道が始まる。

あるお客様に会う

毎週僕の働いているバーに来てくれた製薬会社の社長が、
毎回注文する”カルボナーラ”
そして毎回 ”炒り卵パスタ” になってしまうことに嫌気が差す。
ここで大学の状況や、さまざまな生活環境を総合的に判断し、
美味しいカルボナーラが作れるように、イタリア行きを決断した。

手持ちは10万円、2ヶ月のオープン航空チケット

イタリア語は毎日独学で単語を勉強した程度、新宿で個人レッスンをするローマ人の先生からイタリア語を学ぶ(6ヶ月)
サザビーのショルダーバックに3日分の下着と靴下、パスポートを詰め込み
所持金は10万円とアエロフロートのロシア経由の2ヶ月オープンチケット
着衣はジーンズに革靴、白のTシャツにショットの革ジャンだけ。

7年ヴェネツィアを中心にイタリアに滞在

ヴェネツィアでは「メストレ」「マルゲーラ」「カンポ・サン・スタエ」に住む。4年半はキッチンでコックとして、後の2年半はリアルト橋の近くのバールでバリスタとして勤務。

帰国後は某惣菜会社に15年勤務

担当はVMD(ヴィジュアル=マーチャン=ダイジング:西日本エリア)
冷蔵ショーケース内の陳列や備品の手配などを研究。
見せ方・売り方のプロとして担当をする。

1年間の準備期間を経て ダゼロ株式会社を創業

今までのイタリアはヴェネツィアでの滞在中に、お金が無く乗ることの出来なかった ”水上タクシー” はいつも憧れだった。
そしてその憧れと大阪万博の誘致という国家プロジェクトを背景に、私の夢を体現したいと ”水上観光事業” の会社を設立したのです。




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大阪水上タクシー(ダゼロ株式会社)

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グラッツェ!
はじめまして!イタリア語で“Piacere” と書く。 好きという語意があり『自分からあなたを好きになります』とか『相手には僕の事はお好きにどうぞ』というリスペクトの距離感であると私は解釈している。今まで別々に生きていた「個」が初めて接触する瞬間であり素敵な距離感の始まりである。