見出し画像

オール転嫁【光文社文庫Yomeba! 第21回ショートショート公募『家電』優秀作】

 残業明けのオフィス。蛍光灯を消そうとスイッチに触れた瞬間、指先にムカッと刺激が走った。
 またしてもヤツが来た。指に残る不快感をなだめつつ端からボタンを叩く。ムカッ、ムカッ、ムカッ、1区画ずつ灯りの落ちる部屋に赤い火花が点っては消え、計10回のムカッを経てオフィスが暗闇に沈んだ。
「……あぁもうやってられない」
 低くこぼしながら階段を駆け下りる。エレベーターに乗ろうものなら最低2回のムカッを味わうはめになる。手を洗う、壁や地面に触る、深呼吸する、ヒーリンググッズに頼るなど各種対策は打っているが、効果はまさしく気休め程度だ。社員玄関のドアノブを握って予想通りのムカッを通過、ささくれ立つ気持ちとまとわりつくスカートを振り切り車に乗り込む。
 イラッ! しびれる様な痛みに襲われ、エンジンキーを助手席に放り投げた。
 まったくもって嫌になる。どうして私ばっかりこんな目に合わなきゃならないの。鞄の中の持ち帰り仕事にため息を浴びせ、ブレーキを踏みつけてスターターを押す。派手な放電と共にエンジンがフル回転した。

 どうやら私は極度の静電気体質らしい。それも感情のボルテージに比例して帯電量が増し、我慢の限界を超えると放電が起きるのだ。
 たかが静電気、されど静電気。服の脱ぎ着のたびにムカッ、金属に触ってはイラッ、痛いしうっとうしいし、どこで起きるか分からないから気が抜けない。用心に用心を重ねても、ふとした油断から放電に襲われるストレスが更に帯電を呼ぶ悪循環。家族にも友人にも相談し、たまりかねて病院にも行った。しかし皆が口をそろえて『仕方ないね』の一言だった。
 一体何が仕方ないものか。ひとが真剣に悩んでいるのに、どいつもこいつも適当に流し、愛想笑いで逃げていく。
 会社でもそうだ。形ばかり頭を下げ、『さすが稲津さん』と持ち上げては緊急案件や面倒事を押し付ける。そうやってさんざん頼っておきながら、いざこちらが不備を指摘したり小言を投げたりすれば、パワハラだお局様だと陰口をたたくのだ。
 いっそ電気ウナギのごとく、このやり場のないムカムカを感電させられたら。理不尽のあまり何度試みたか知れない。けれど私の放電は対人には働かず、いかに怨念込めて接触しようが相手は無傷。跳ね返ったムカッの洗礼を受けるのは私だった。

 年度末の繁忙期、仕事と共に溜まりに溜まった静電気にピリピリしていると、飛んできたチラシが顔にへばりついた。
「えぇいうるさい! ……何これ。オール転嫁?」
 オール電化の誤植だろうか。そう言えば近所にできた工務店が開店セールの案内をしていたっけ。今のところ注文の予定はないが、通行妨害の抗議と誤植の訂正は必要だ。私はチラシを持ってくだんの工務店へ向かった。
「いらっしゃいませお客様」
 自動ドアが開くなり、店員の男が絵に描いた様な営業スマイルで言った。
「客じゃないわよ、おたくのチラシが勝手にくっついてきたの。通行の邪魔だし、肝心の字も間違ってる!」
 バチバチッ! すくめたスーツの肩から赤い火花が散った。
「いやはや。せい電気体質もここまでとなりますと、毎日さぞご不便でしょう。私どもにお任せいただければ、オール転嫁で快適優雅なエゴライフをお約束いたします」
 店員がパチパチ拍手しながらカウンターにパンフレットを広げる。
 せい電気に、エゴライフ。言葉の端々に引っ掛かるものは感じつつ、私はパンフレットに目をやった。たとえ営業にせよ、初めて他人から理解と同情を寄せられた安堵が、得体の知れないオール転嫁とやらへの警戒を薄めていた。
「静電気体質と、せい電気体質は別物なの?」
「体内に電気を溜め込む点は同じですが、せい電気はお客様の環境や心理状態に起因するもの。思考や感情とは、つきつめれば神経回路を流れる電気信号ですので」
 なるほど、言われてみれば理屈が通る。パンフレットの表紙では、ボールを持った人間のイラストが店員そっくりの営業スマイルを浮かべている。裏面は理科の教科書的な模式図になっており、乾電池につないだ豆電球を逆にした様な格好で、電波風の矢印が頭から両腕を経由し、抱えたライトを漫画チックに光らせていた。
「確かに。私の静電気はイライラムカムカすると酷くなるわ。感情そのものが帯電してるせいだったのね」
「周囲の無神経さや図々しさのせいで我慢を強いられ、他人の失敗や不注意のせいで要らぬ尻拭いや後始末に追われ、蓄積された摩擦と軋轢が許容量を上回る事で爆発を引き起こす。お客様のせいではありません、全ては他人のせいなのです」
 全ては他人のせい。力強く断定され、今まで飲み込んできた痛みや苦しさ、我慢の日々が帳消しになった気がした。やはり間違っていたのは私ではなく、周りの人間の方だったのだ。
「オール転嫁の工事をすれば、この辛さは消えるのかしら?」
 料金プランを見比べ、アパートの間取りと賃貸条件を思い描く。工事を頼むにしても、大規模なリフォームや設備の交換は厳しい。最悪引っ越し先から探す必要がある。パンフレットをためつすがめつ迷っていると、奥のドアから研究者か医者とおぼしき白衣の男が現れ、眼鏡越しに目を細めた。
「ご安心を。簡単な手術で済みますし、費用は後々回収が利きます。押し付けられたストレスは他へなすり付け、楽に便利に暮らしましょう」
 ――手術は小一時間で終わり、麻酔の抜けきらない手元には、説明書兼メーカー保証書と絶縁ゴム手袋が残った。
 手袋をはめ、しびれともやもやを抱えたまま帰宅。甘い売り文句に乗せられ、あっさり契約してしまった後悔と、コツコツ貯めた預金をもぎ取られた不満がくすぶる。感覚が甦るにしたがって、くすぶった不満は雷と化し、手袋の内側でチリチリはぜた。
 何よ、ちっとも治ってないじゃない。破り捨てたい誘惑をこらえて説明書をめくり、手近な電気スタンドのプラグを引っこ抜く。
 術後30分から使用可能、耐電圧1万ボルトまで。手袋を外した左掌には壁に備え付けてある様なコンセント穴が並んでいる。オーソドックスな2つ穴と高圧用の3つ穴が1つずつ。
 痛そう。それに下手したら感電するんじゃ? コンセントにいたずらして電流直撃。典型的な事故映像が頭に浮かぶ。駄目だめ、せっかく高いお金払って、手術までしたのに勿体ない。おじけをねじ伏せ、2つ穴の方へプラグ端子を差し込んだ。
 ピカッ! 予想外の眩しさに目をそむける。掌につないだ電気スタンドが点灯していた。無事に転嫁成功、せい電気が光エネルギーに転換されたのだ。
 電気スタンドは差しっぱなしで冷蔵庫を3つ穴に接続。ちゃんと冷気が保たれ、スタンドも明るい。人体から電気を移す以上、かなりの刺激や疲労を覚悟したが、ムカッやイラッはおろかピリッとも感じない。それどころか。
「はぁ~、スカッとしたぁ」
 思う存分当たり散らし、うっぷんが晴れた様な爽快感。身体も心も軽く、天にも昇る心地とはこの事だ。
 その夜は夢も見ずぐっすり眠った。寝返りを打ちにくいのは難点だが、電気スタンドも冷蔵庫も朝まで順調に稼働し続けた。

「稲津さん、資料チェックお願いできますか?」
「いいわよ、そこ置いといて」
「急な出張が入ってしまってね、悪いんだが稲津君」
「明日が期限でしたね。お帰りまでに作成しておきます」
「お客様からクレームが……!」
「私が対応するわ、代わって」
 今日も今日とてオフィスはてんてこ舞いだ。朝から晩まで緊急電話とヘルプの声が絶えない。
 あぁ嫌だ嫌だ、どうして私ばっかり。フフンと鼻を鳴らして仕事が山積みのデスクに向かう。絶縁手袋のおかげで不意のムカッイラッに襲われる頻度は飛躍的に減った。放電しなければせい電気は溜まる一方だが、今の私には奥の手がある。
「稲津さ~ん!」
「はいはい次は何なの」
 仕方ないわね、どいつもこいつも私に押し付けて。あんた達のせいで私がどれだけ苦労してると思ってるの。猛然とパソコンキーを叩き、メールと資料のチェックを済ませ、クレーム応対のかたわら追加業務を片付ける。
「あの、稲津さん。よかったら手伝いましょうか」
「お気遣いなく」
 何をどれだけ頼んでも小言も文句も出ないとなると、部署中の厄介事が私に回ってくる様になった。
 繰り返し呼ばれては決まりきった『ありがとう助かった』で済まされる。湧き上がる怒りと憤慨が期待と興奮にシフト、足取りも軽やかに深夜のアパートへ帰宅する。
「さぁて、今日はどれくらい溜まったかしら?」
 右手袋を外し、掌から電極を引き出して電圧計につなぐ。ぐんと跳ね上がるメーターに私のボルテージも最高潮だ。
「10日分くらいの電気量だわ。使用分は残して余りは売電しましょう」
 右手を変圧器につなぎ変えて契約会社に送電、左手のコンセントから自家発電装置のバッテリーにせい電気を流す。1日の気疲れがスカッと解消し、預金口座には売電料金が転がり込む。
 オール転嫁にして本当に良かった。押し付けられたストレスも際限なく溜まるせい電気も、生活電力に変えて家電になすり付けられる。おかげで光熱費がそっくり浮き、余剰電力の売電で懐まで潤う。
 せい電気の電圧は平均数千ボルトに上るのに対し、電気製品の規格はたかだか100ボルト。使いたい放題使っても十分に余る。
 オーバーワークで蓄電量が増え、バッテリーで対応しきれない時は、新しい家電を増やせばいい。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電子レンジにIHヒーター、全自動湯沸かし器にエアコン。照明も通信機器も、もちろん発電装置の稼働エネルギーも。左手のコンセントだけでは足りず、延長タップを接続して家中の家電とつながっている。
「う~ん、極楽……」
 コードを通してせい電気が転嫁され、身体の内側から空っぽになっていく。これぞ最高のデトックスだ。すっからかんに吐き出しても、どうせ明日の仕事でまた溜まる。
 いいえ、まだまだ足りないわ。12台目のスタンドのピカッを浴び、新品の冷蔵庫を延長タップの延長タップに接続する。
 働いている限り、せい電気は無尽蔵に発生する。困った事はみんな誰かのせいにして、人や物に責任をなすり付けるのは、とても楽で気持ちが良いんだもの。
 このエゴライフを満喫するために、もっと業務をこなして、もっともっと厄介事を押し付けられないと。『手伝いましょうか』なんて余計なお節介のせいで、私の転嫁量が減ってしまう。
 あぁイライラする。働けば文句、働かなければまた文句。私はもっと転嫁したいのに。もっと、もっと、もっと――
「そうだ。わざわざ人に頼らなくても、手っ取り早い方法があるじゃない」
 送電中の右手と放電中の左手を見つめる。頭の中で真っ赤な火花がパチパチ拍手した。

「――で、結局ガイシャの死因は、焼死で間違いないのか」
 まだ煙の臭いの残る現場をにらみながら、刑事が部下に言った。
「鑑識の話では、直接の致命傷は感電死だろうと。まるで雷に打たれた様に、体内から黒焦げになった状態だそうです」
 報告書を読み上げ、部下がぶるりと身を震わせた。現場経験の浅い部下はもちろん、場数を踏んだ先輩刑事にも気持ちの良い内容ではない。
「タコ足配線による漏電と感電、そして電気火災か。懸命に働いて買いそろえたんだろうに、浮かばれん死に方だな」
 全焼したアパートの火元になった一室。電気コードや家電らしき残骸が溶けてバリケード状に固まり、検証しようにも中へ入れなかったのだ。ようやく大部分が取り除かれた後、表にまとめられた家電の種類と台数に、捜査員一同は目をむいた。
「電気消費量を調べた結果、室内の家電の多くは、接続されただけで使用形跡がほとんどなかったと。異常な収集癖の原因は、やはり過労によるストレスでしょうか」
「勤続20年のベテランで、勤務態度もすこぶる真面目。仕事仲間に厳しい言葉を投げる事もあったが、トラブル処理や面倒事を率先して引き受け、部署内の評価も高かった。万が一、自ら命を絶ったのだとしたら、会社としてもやり切れんだろうよ」
 捜査資料を閉じ、合掌する。死因は感電で間違いないとしても、被害者の亡くなり方はやや不思議だった。発見時、通常の事故死では考えにくい姿勢を取っていたのだ。
「稲津麻子さん……ガイシャはこう、合掌する様に左右の掌をくっ付けていたそうだが。感電死なら、衝撃や苦痛で掌は離れるんじゃないか」
「死亡時の状況については、引き続き検証を重ねます。それで今後の捜査日程ですが」
 報告の途中で部下の視線が足元へそれた。風で飛ばされたのか、見慣れないチラシが1枚、刑事の靴に張り付いていた。
「……オール転嫁。何だこりゃ、オール電化の誤植か?」
 拾い上げようと屈み、伸ばした手がピリッとこわばる。身動きの表紙にチラシがはがれ、風に乗って飛んで行った。
「どうしました、先輩?」
「いや、ただの静電気だろう。気のせいだ」



本作は、光文社主催の第21回ショートショート公募
テーマ『家電』にて1次予選を通過、優秀作に選出いただいたものです。

この度、正式に結果発表がありましたので、講評に添えて、原文をnoteに公開いたします。