TOKYO2020を終えて

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オリンピックで13日間、パラリンピックで13日間。合計26日間の私のTOKYO2020の活動は終わりました。

7月18日に上京し、9月8日に帰郷するまでの都心生活。もうこんなことを経験することはないかなあ。

開会式の担当者辞任などゴタゴタの多かったTOKYO2020。ボランティアの役割に関してもご多分に漏れず、無観客になって役割が無くなった、いや他に振り分けられた、いや振り分けられたけど何も連絡が来ない、などなどゴタゴタを横目に見ることになった。

私に関しては、一貫して選手村での選手団アシスタント、という職種でオリもパラも活動を貫徹させて頂き、運が良かった。

また、他の職種、特にドライブサポーターなどはヒマであまりやることがない日が多かった、という方が一定数いらっしゃるのも気になった。私の場合もヒマな時はあったが、全体を見るとほどほどに忙しかった、ということになり、それも良かったと思う。

組織委の対応は決して悪いとは言わない。ただ、日々刻々と変わる状況に対しては、あまりというか、全く柔軟性はなかったなと思った。状況が変わった場合のフォローに走る役割の方は素人なのか、あるいはそもそもそのような職種は想定していなかったのか。だから無観客になった場合の振り替えなどで全く動けなかったというセクションもあっただろうと思う。

これは選手団などが使用する車両の予約システムの、1日前の予約必須などにも見られた。選手団の予定は当日に変わりまくるものだというのはアシスタントをしてた私も痛感した。1日前に明日の行動を確定させろなど、どだい無理な話しだった。

それからニュースにも出てしまったユニフォームの再配布の問題。組織委からボランティア担当が出てきてボランティアと連絡を取りながら全体の差配をする、というような動きはなかったので、いつどこで再配分するか、というような情報が行った所と全くお知らせがなかった所と、情報だけでも格差が出てきた。幸い今はSNSが浸透していて、ボランティア個人が横のネットワークをつなげて情報を伝えていく、というような個人頼みの状況になってしまっていた。お弁当の廃棄問題にせよ、何か組織委はもっとSNSを上手に利用してボランティアとの間を取り持つような、そのようなクッションを創出していたらもっと無駄を減らせていたと思う。

とにかくこのような課題が出てきたので、今度国際大会を開く際は今回のTOKYO2020の問題点をつぶしていってもらいたいなと思ってやまない。

さて、大会が終わってもう半月。私はもう復職しているはずだが、実はまだできていない。本当な先週から復職しているはずだった。いや、1日だけ復帰できた。会社に挨拶回りして、さあそろそろ仕事の感覚を取り戻そうか、という初日の夜、発熱した。会社に連絡してあえなく1週間待機。まあPCR検査を地元でも受けて無事に陰性だったからコロナではないことは証明されたが、それでも地元の人からしたら「コロナの流行地から帰ってきた人」ということで、だいぶ警戒されたようだ(苦笑)でもただの季節性の風邪で済んで良かった。やっと明日から職場復帰だ。・・・仕事覚えてるかなあ。

そろそろTOKYO2020ロスが出てきた人がいるんじゃないだろうか。ロスをなくすには次の目標を見据えることだ。ほら、一度こんな経験をした人は、スキあらばそれを繰り返すような人生になってしまうでしょう。いいじゃないですか。君たちの次のジャーニーに幸あれ。

エッセルスーパーカップ、帰郷してからもよく食べてます。

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