フランス人青年との思い出

2003年、私は旅行で沖縄県の石垣島に滞在していた。その間にずっと滞在していた宿はいわゆる安宿のドミトリー宿で、宿泊客とほとんど同部屋で雑魚寝に近いようなところだった。プライベートはあまり無かったかもしれないがその分、他の宿泊客や宿のオーナーとの距離がとても近く、見ず知らずの人でも、たいていすぐに話して打ち解けることが多かった。仲が良くなった人とは、一緒に飯を食べに出かけたりした。この距離の近さ、フレンドリーさが私には心地よかった。あの頃はまだ若かったな。

1週間以上は石垣島に滞在したと思う。何日目かは忘れたが、ある時、宿のオーナーが言った。「明日、フランス人がうちの宿に来るよ」

「ジェイと呼んでくれ」 人なつこい笑顔を振りまきながら、彼は言った。20代半ばで、背が私より高く、がっちりした陽気そうな白人。日本語はほとんど話せないが、勉強中らしい。「海で魚をモリで突くんだ」そう言ってジェイは自分のモリを見せてくれた。

実際に彼は魚を突きに、レンタカーでよく海まで出かけた。私もよく彼と一緒に出かけ、彼の漁につきあった。と言っても、モリ漁なんてできない私は、やることは浜辺で彼の帰りを待つことだけだった。

浜辺でウェットスーツを着込み、体にシュノーケルと水中眼鏡と浮き標を付け、片手にショットガンみたいなスプリング式のモリを持って海に入っていく彼の姿は、まるで映画「グランブルー」の素潜りダイバーの姿を連想させた。長いときは1時間ぐらい、ずっと海でモリ漁をしていた。すごい体力だなと思った。

ある日、いつものように彼は私をドライブに誘ってきた。またモリ漁の付き合いだろうと思ったら、その日は少し目的が違った。石垣島のはずれにある、某高級リゾートホテルの施設を見学して回った。

「いつか、こういうホテルのビジネスをしたいんだ」
「世界中にホテルのビジネスを展開したい。フランス南アフリカ日本・・・」
「そのために、色んな外国語も覚えたい。日本語も」
「前は南アフリカに滞在してた。石垣にはあと1年ぐらい滞在して、その後はロシア語を覚えることも兼ねてロシアに行くつもりだ」

私は彼がこの島に来た目的が少し分かったような気がした。果たしてホテルのビジネスの真意が何を意味しているのか、当時のつたない私の英語力では理解できなかった。自分自身がホテルチェーンのオーナーになりたいのか、あるいはモリ漁をしている所を見ると、ホテルに仕出す魚介類料理のビジネスのことを言っていたのかもしれない。

たまに、自分の言ってることを理解してもらえなかったり、自分の意見が通らなかったりすると、ジェイはすぐに怒り出すこともあった。やや日本人としては理解できない思考はあったかもしれないが、それでも自分なりに仲良くなり、色んなことを話した。フランス人にとってリゾート地である南アフリカのこと、フランスワインのこと、フランスのランスに居る両親のこと、フランスに居る恋人のこと。
「フランスにはmusic day と言うフェスティバルがあってな。その日はよく、みんな音楽を鳴らしてるんだ。おもしろいぞ」

間もなく私は休暇が終わり、石垣を離れて地元に帰った。

後日、私が石垣島で撮ったジェイの写真を、フランスに住んでいるジェイの両親の元に郵送した。しばらくしてから、石垣に住んでいるジェイからお礼のメールが来た。「写真をフランスの両親まで送ってくれてありがとう。みんな喜んでたよ」

それから約九ヵ月後、再び私は旅行で石垣を訪れた。
ジェイはまだ石垣に住んでいた。既にドミトリーを出て一軒家を借り、フランスから彼女も呼び寄せて一緒に住んでいた。
「あと数ヶ月したら、日本を離れるんだ」
また次の目的地に行くんだろうか。

後日、私はジェイに餞別のつもりで、日用品やらワインやらを買って石垣島に宅配便で送った。しばらくして、またお礼のメールが来た。

その後、お互いバタバタしたんだろう。メールを送っても、返事は返ってこなかった。

あれから18年。すっかり音信不通になっちゃったけど、彼は今はどこで何をしてるのかなぁ。元気にしてるかなあ。

いつかフランスのmusic dayとやらを見に行きたいもんだ。

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