猫部屋おばさんと犬。
今わたしは8匹の猫たちと暮らしている。
猫ちゃんたちとの暮らしはかれこれ20年以上になる。
猫好きのきっかけは友人の一声から
約20年前、一人暮らしを始めてすぐに猫好きの友人が
「ねぇ、猫を飼おうよ!」
と勝手に決め、里親募集していた方のもとに猫を譲ってもらいに行ったのがすべての始まりだった。
それまでは実家で犬と暮らしていて、猫の魅力なんて正直わからなかったしこんなにも長い時間猫に魅了されることになるなんて知らずにいた。
その時出会った猫の名前は「ケイ」ちゃん。
キジトラのとても甘えん坊の男の子だった。
初めて一緒に寝た夜、ゴロゴロと喉を鳴らし、わたしの胸元でスヤスヤと眠っているケイちゃんを見て
「こんなに愛しい生き物がこの世に存在するのか」
と感動したのを今でもはっきりと覚えている。
初めて自分の中で「愛しい」という感覚が生まれた瞬間でもあった。
犬に愛着が持てなかった少女時代
冒頭でもいったがわたしはそれまで実家で犬と暮らしていた。
なのに「愛しさ」を知らなかった。
犬が嫌いなわけじゃない。
むしろ今では大好きで、わたしの人生に欠かすことが出来ない存在だ。
でも当時のわたしは犬に愛着を持てない人間だったんだと思う。
初めての犬、ゴンタの話
わたしが初めて出会った犬の名前は「ゴンタ」
わたしが5歳の時、姉と一緒に母に頼み込んで飼うことになった初めての子犬。
当時、三度目の離婚をした母と姉と時々施設から帰ってくる知的障害のある兄とわたしの4人で家賃5千円の賃貸の一軒家で暮らしていた。
裕福な家庭じゃない。でもいつも明るい母と姉がいて、そしてゴンタがいてとても幸せだった。
ゴンタの事はとても可愛がった。
小学生になって近所に住むお友達とゴンタの散歩に出て、いつまでも帰ってこないことを母が心配して警察沙汰になったこともある。
記憶力がないわたしは正直、当時の記憶があまりない。
でも思い返して見ると中型犬サイズになっていたゴンタを小さい身体でお散歩していたことが大変だったという記憶がない。
きっと優しいゴンタがわたしに合わせてゆっくり歩いてくれてたんだろうなって思うととても胸が熱くなる。
わたしが小学校2年生の時、母が再婚することになった。
再婚を機に引っ越すことになった。
当たり前のようにゴンタも一緒だと疑わなかった。
なのに、ゴンタとの別れは突然訪れた。
ゴンタは新しい家には来なかった。
最低なことに母とその再婚相手のその人の手で、どこかに捨ててきたようだった。
姉と声を殺して泣いた。
今思い出しても悔しくて泣ける。
その後、捨てた場所の近くで誰かが飼ってくれていたようだと話に聞いた。
唯一の救いだった。
母の再婚で世界は一変
あの家に行ったあの日からわたしたちの人生は一変した。
支配的なおじさん家族とわたしたち家族が一つ屋根に住んでいる、そんな感じ。感情を押し殺す癖はあの家で育ったせいだろうと今でも思う。
すべてはおじさんの言いなりになるしかなかった。
おじさんの家で出会ったわんこたち
おじさんの家には犬がいた。
おじさんは犬が好きだった。ただし、観賞用として。
飽きたらどこかにいってしまい、次の犬が来た。
チャウチャウ、ハスキー、ヨーキー、ビーグル、ダックス…
犬小屋の掃除、お散歩するのはわたしと姉の仕事だった。気に食わないことがあると小さい犬でも殴る蹴ることなんて日常だった。
本当に最低の人間だ。
その頃のわたしは犬たちに愛着を持つこともなく、逆に掃除や散歩をしなくちゃいけないことで犬を嫌っていたかもしれない。
最後の犬、レオ君
たくさんの犬をとっかえひっかえして、最終的にはダックスのレオ君だけは母たちが看取った。16歳だった。
レオ君が亡くなる数日前に母から連絡があり、会いに行った。
大事にしてあげなかったことをとても後悔した。
フードも安いやつだったし、病院にかかったことも一度もない。
この家に来なければ、もっと幸せに暮らせたかもしれないのに。。。
16年一緒に生活して火葬してあげることもなく、愛護センターの共同墓地のような場所に連れて行ったと聞いている。
あの頃のわたしはあの人たちと同じだ。
レオ君のために、他の犬たちのために何も行動しなかった。
ゴンタの時だってそうだ。
ただ怯えて、臆病で声を出さないことを選んだんだ。
本当はわたしは薄情な人間なだけなのかもしれない。そんなことを考えたりもする。
その後出会ったワンコたち
あれから時間が経って、わたしは色んなわんこと出会った。
愛することが出来て、見送ることも出来た。
猫とは違う犬の魅力を知ることも出来た。
犬猫はわたしにとっては神様や仏様に近い存在だったりする。
こういうと笑われることもあるけど。
それだけ尊い。
それから今を楽しむ天才すぎて見習うことがたくさんある。
見届けられたにゃんもワンも、見届けられなかったワンもにゃんにすべての出会った犬猫たちには感謝しかない。
悔しい思いもしたし、悲しい思いもした。
でも最終的には「ありがとう」しか言葉が出ないんだよね。
きっとこれからもそれは変わらない。
出会った命を大切にする。
出来る範囲でやれることをやる。
それがわたしのこれからの人生の楽しみ。
前回の選挙期間中に無所属で出馬した乙武洋匡さんが
「ぼくたちは無力じゃない。微力かもしれないけど。みんなが集まれば変化を起こせる。社会を変えられる」
というツイートをしてて心が動いた。
1人では出来ないって最初から諦めるのはもう嫌だ。
無力なんかじゃない。微力でしかないけど。
でも微力をいっぱい集めていけたらいいなと思い、ここに記す。
おじさんみたいな考えの人間を減らし、犬猫が共生できる社会になれるように…
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