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恋するように旅して〜サラエヴォ編③始まりの地ラテン橋

ホテルを出る。一歩一歩近づいていく。

うっすら雪が積もり、やっぱりどこか陰鬱な街の風景。

近づいてくる、未完の戦争 第一次世界大戦の始まりの地、ラテン橋。

ラテン橋は、別名プリンツィプ橋。

サラエヴォ事件で、オーストリア=ハンガリー二重帝国フランツ・フィルデナント皇太子夫妻を暗殺した、
セルビア人青年ガブリロ・プリンツィプから取られている。

ちなみにプリン氏、こんな人。
こう見えても19歳。

1894年ボスニアのセルビア人農家に生まれた彼は、ムスリム大地主の下で貧しく病弱な子供時代を過ごす。

成績優秀だったため、途中お兄が稼いだお金で学校に通っていたけど、どんどん大セルビア主義に傾倒し、最後は革命組織の仲間入り。

背景には、プリン氏青春時代、オーストリア=ハンガリー二重帝国がボスニア併合をし、
ボスニア内で大セルビア主義台頭に拍車がかかったのもあり。

↓ヨーロッパの火薬庫概要。

プリン氏水色側。ボスニアも水色側なのに、途中で赤色側に併合されたことで、水色側が激おこプンプン丸に。

そんなこんなで、プリン氏属する革命組織「ツルナルーカ(黒手組)」による
サラエヴォ視察中のオーストリア皇太子夫妻暗殺計画が実行されたわけです。

当時もいろいろ想定外の動きで暗殺が失敗し、プリン氏がカフェでサンドイッチを食べてお店を出た時、

偶然にもそこを皇太子夫妻の車が通る。

騒動があり、本来通らないはずの道なのに。
何故か、皇太子夫妻を乗せた車は、
プリンツィプの前を通った。


2発。


プリンツィプから放たれた。

1発は皇太子に、もう1発はゾフィー皇太子妃のお腹に。

その後プリン氏は自殺を図ろうとするも警官に押さえ込まれ、連行される。

皇太子夫妻は即死、世界はその後、連鎖反応的に31か国が参戦する世界大戦へ突入することになった。

今、事件跡地には、ミュージアムが建っている。

複数言語が、通訳とともに飛び交い、
西洋人東洋人関係なく、場所を見つめる。

そして、ミュージアムの中には、
やはり事件は、大戦は現実なんだと刻む痕跡の数々。

事件当日の暗殺メンバー。

事件を伝える新聞。

ここから、世界は未完の戦争に投入した。

地軸を揃え現場にいると、
ただ、時間軸だけが交錯し、どうしようもなく眩暈がする、そんな感じになる。

茫然としながら、ミュージアムを出て、
振り返る。

もちろん、今はとても平和な、川にかかっている橋。

だから、あえて考える。

わたしがプリンフィプと同じ立場だったとして。

プリンツィプが出すべき答えは皇太子夫妻暗殺だったのか?

本来出すべき結論のために、設定すべき問いは何だったのか?

それを実行するために必要なことは何だったのか?

歴史にifはタブーだからこそ、
彼の人生を振り返り、世界大戦に至ってしまった人類の歴史を踏みしめたいと思う。

なお、その後のプリン氏の人生を補足説明。

プリンツィプは死刑求刑されるも、
未成年だったため懲役刑となる。
しかし持病が悪化し右腕切断、そして第一次世界大戦が終わる1918年に、獄中死を迎える。


時は流れ、セルビアに建つプリンツィプの像。

人を殺しているから悪者、というのであれば
その後広がる世界大戦の参加国全てが
理論上悪者になるし、そんな単純な善悪論ではない。

その上で果たして、
彼はテロリストなのか、ヒーローなのか。
それとも…?

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