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「旅と器とプレイ宣言」

 (イグBFC3提出作品)

 初めての海外旅行はタイだった。スウィートナインティーンガールズ三人旅。
 バンコクの街中で、先っちょがまるまってる文字が溢れてて、ここはどこ? がさっぱりわからなくなったとき、羅針盤みたいなアルファベットにはなかなか出会えなくて、私たちは途方にくれていた。
 私とミユが地図をのぞきこんでは、ここちゃう? 違うって! とやってる間、ノンは野良犬の道路のわたり方なんかを見てめっちゃうまいな、よう渡れんな、としきりに感心している。そうすると、ミユが怒るのだ。
「あんたねえ、今道に迷ってるのに、どうして一人だけなんにも考えないのよ」
 ノンはキョトンとして答える。
「だってうち、地図全然わからんもん。下手に口出しせんと、ふたりのこと信じとうわ」
 私はちょっと感動したけど、ミユはぐわっと怒った。
「全体のこととか、どうして考えないの」
 標準語の「どうして」は、「どう」の部分が怜悧な刃物みたいによく切れる。関西弁の「なんで」は丸いのになぁ。
「ノンはなぁ、大将の器やねんな。まかせる! って決めたら信頼してちゃーんとまかせられんねん。それってすごいやろ。うちやったら、地図なんか読めんでも見して見して! って口挟まずにいられへんもん。器が小さいねん。ミユもそうやろ?ピンチや! と思ったときにも、ノンがどーんと構えてるって思ったら、ちょっと気が楽にならへん?」
 三人が三人、おんなじ方向を向いてない方が広がりがあってええやん。分かったような、分からんような顔をして、だけどミユは矛を納めた。なんでもココナッツの香りが追いかけてくるタイ料理にちょっと辟易としている私たちに、ノンは屋台でラスプーチンを買って差し出す。さっぱりと甘くてきゅっとする、いちばんおいしい食べものに思えた。
 大将の器、っていうくくりは私の中で大いにはやった。その後付き合った男は覇気があって自然と人の上に立つようなポジションをとるひとだった。モテテクとかじゃなく、えーさすが! すごぉい! と自然に言えちゃうハイスペ男子。そんな彼氏とのウキウキ上海旅は、指と指を絡ませて異国情緒に酔いしれる旅。の、はずだった。
 ひとしきり観光して(なに見たっけな、横顔ばっかり見てて覚えてないよね)ホテルに帰ろうとしたとき。私たちはタクシーが捕まえられないという事態に陥ったのだ。みんながお行儀よく並んでいるタクシー乗り場はない。ホテルのドアマンが白い手袋でどうぞってしてくれたタクシーに乗ってここまで来たから、帰りだってホテルの名前だけ告げればたどりつけるとしか考えてなかった。やっと来たタクシーを、現地の人に横取りされること五回。彼はとうとう音を上げた。
「もう無理だ。俺たちには乗れない」
 え? それならどうやって帰るつもり?
「知らない」
 それきりだんまり。なにそれ。なんでなげやりやねん。私は、俺についてこいっていう男を立てて三歩下がるプレイをやめた。そのかわり、自分のなかにあるなけなしの大阪のおばちゃんスピリッツをかき集める。
「私が捕まえるわ。郷に入れば郷に従えや」
 横取りされた五回で、現地の人のやり方は観察済み。あとは実行あるのみだ。まずはタクシーが止まったらそこに突進する。次に、私が自ら後部座席のドアを開け、降りようとしてる人の腕をつかんでさっさと降車させる。そして、同じタクシーを狙っているライバルが乗り込まないようにしっかりとディフェンス。最後の一人をドアの外に追いやって、そのまま座席に滑り込む。なお、この行程のすべてで、毛穴の隅々から「このタクシーはうちのや!」ということを主張すべくわめいている必要がある。お上品にやってたら日が暮れる。そんなわけで、「はよおりてや! はよう! はよう! うちらが乗るんやし!」と堂々たる関西弁でまくしたてた。
 無事座席に落ち着くと、涼しい顔で彼は言う。
「意外とお役立ちじゃん」
 あ? あんたが口ばっかりのおぼっちゃんで役立たずなんちゃうん? という本音は、かわいらしい女の子でいたかったのに厚かましい行動をしてはずかしいという気持ちに負けた。こういう隙をついて、お飾りの大将は上に乗りたがる。
 それから、彼との関係はずっとそのままだった。愛されたいあまりに、プレイで立ててケツも拭く。本音がいつも負けてしまうから、彼を天狗の鼻した裸の王様に育ててしまった。友達となら、あのこは大将の器って笑えたのに。
 あの時のスウィートナインティーン三人組はキャラメルビター三人組となり、それぞれに家庭があったりなかったり。子育てが一段落したら温泉にでも行こうと約束している。おばちゃんになった身体をしげしげと眺めあうんだろうな。どんな贅肉も、年月と一緒できっと愛おしいでこぼこだ。その時まで、根っこや葉っぱを存分に広げるつもり。ノンが変わらず大将のままでいてくれていますように。
 これは、旅行中に感じたことはそのまま人生に当てはまるんだなっていうベタな話。恋人との旅行でモヤモヤしたら逃げずに直視することをオススメする話。
 だけど恋愛中ってむずかしいよね。
 一生かわいらしくいさせてくれる男性がいたら、よろこんでプレイします。
 え、だめ?

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