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みんなで地球をシェアハウス〈タイの田舎暮らし〉

タイ人の母が生まれ育った田舎へ初めて訪れた。そこでは自分の価値観が以下に氷のようにカチコチ固まっていたのかを理解。そんな時の思い出を綴りました。

 ご飯食べる時に蝿が止まったものを食べることに抵抗があったり、家の中を裸足で歩けなかったり多くの点を汚いと思ってしまう自分がいる。母がほうきで家の中を掃除している時、ふとかき集めているゴミを見たらちっちゃい蟻が沢山。私は「そんなに家の中に蟻がいるの!?」って聞くと「そうよーみんな一緒に暮らしてるのよ。何も害与えないし、人間の方が大きいから大丈夫よ。きっと蟻さんはとっても小さいから人間のこと怖いと思ってるよ。家には蟻だけじゃなくていろんな生き物がいる。ほら見てこのバナナ、置いといたらネズミに食べられちゃったのよ!ネズミこの屋根の上に住んでるの。でもこのネズミは他とは違って賢い子なのよ。バナナが沢山ある中で、一つのバナナだけを齧ってるのよ、だから私たちも食べられるでしょ」って。

お寺に行った時にも、飼い主のいない野犬で溢れていて、けどその子達は人間のご飯を半分分けてもらい一緒に生きてた。あたしなんて、「うっわ、狂犬病の原因があちこちいるよ逃げなきゃ」ってことが頭の中でいっぱいだったのに、そんな中、一方で母「騒がなきゃ何もしないってみんな良い子よみんな可愛い子ね〜」なんて呑気に真横を通過していってた。
(もちろん狂犬病の予防注射なんて打ってない)

東京という整備され、全てが人間用に作られ、人間しかいない街で生まれ育った私にとっては初めて見るものばかり。(小さい頃にタイに何度も訪れてるけどその時は何も抵抗なんてなかったし全部を受け入れてた。あたしの中で価値観形成し終わった後のタイは初めて) だからこそ生き物と人が同じ家で暮らす何て考えたこともなかった。虫は家の中にいないのが当たり前。家の中にいるのを見つけようものなら、スプレー片手に戦闘開始。何で家の中に虫がいるの?何でそれを許せるの?って思ってしまう。

けれども、これこそ本来あるべき姿なのかもしれない。人間はこの世界に住む生き物の一種類にすぎてなくて、他の生き物と地球をシェアしている状況なのだ。それなのに人間だけが、自然を破壊し都市を作り、人間の都合の良いように地球を作り変えてしまっている。本当は人間と生き物は一緒に生きるべきで、それを別々にしてはいけない。昔から人間はそうしてきたはずだ。現にあたしたちは大きな恩恵を自然から受けてるわけで、自然とのつながりを遮断してしまうとそのありがたさが見えなくなってしまう。ここには都会みたいにキラキラで便利なものなんてないけど、こういう人間と生き物が繋がってるかんじなんかいいなって思う。

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