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おいしい食事の時間、なにを食べるか・誰と食べるか・どこで食べるか | 金曜日のひとりごと

「この間、ひとりできた時は正直そこまでかなと思ったけど、きょうはおいしい。ふたりで食べているからかな」

テーブル席で向かい合って座っていた夫が、前回も頼んだというラーメンをすすりながらそう言った。

うん、なんかわかる。

「なにを食べるか」「どこで食べるか」と同じくらい、「誰と食べるか」は重要だと思っている。かつてアルバイトしていた飲食店でも店長が「お酒は"誰と飲むのか"で感じ方が変わる」と言っていた。

どんなご飯の時間を積み重ねてきたか

実家にいながら、仕事の関係でひとりでご飯を食べることが多かった20代。食事の時間はそれほど楽しみではなかった。ついつい「お腹をいっぱいにできればいい」と思いがちだったのだ。

せめて気分を変えようと、出勤日に持参したお弁当を食べる時は、外に出たついでに景色のよい場所を探して車を停めた。

そういえば、仕事で夜遅くに帰っても母はわたしがご飯を食べている間よくとなりにいてくれた。食べているのはわたしひとり。でも、となりに「おいしい」と伝える相手がいるだけで、やっぱりもっとおいしくなる気がした。

東京にきた1年目は、あたらしい仕事に慣れるまでてんてこまいで、お弁当を食べながら仕事をすることが多かったような。あまりご飯の記憶がない。

2年目は転職して同じフロアのメンバーで会議室で食べていたっけな。仕事中は緊張が張り詰めていたので、あのお昼の時間は楽しかった。

3年目からは在宅勤務になって、お昼はまたひとりで食べることが増えて「お腹が満たされればいい」という日が多くなった。みかねた夫が「明日のお昼はこれを食べてね」とそれまで以上に作り置きを作ってくれるように。

途中から、夫も一緒にお昼ご飯を食べる日が増えて、食卓は豊かになった。その時間が豊かになった。

とはいえ、ひとりのときもやっぱりたまにある。

「食器をいつもと変えてみよう」
「お気に入りのカトラリーを使おう」
「いつもは食べない食材を使ってみよう」
「景色(席)を変えて食べてみよう」

「おいしくできたら、また作ろう」
「次は誰かと一緒にお店にこよう」

自分がうまれてから11,800日余り。何も食べずに終えた1日はないはず。積み重ねてきた食事の時間は、そのあとの食事にもいかされていく。

ひとりご飯の時間も、毎回充実させられるわけではないけど、それはそれで。

さて、きょうは何を食べましょうか。


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