とてもじゃないが何もせずには生きていけない

 生活、退屈。

 生活が退屈じゃないですか? 私は退屈です。リモートワークに伴い東京から地方へ引っ越したところ、ストレスが無くなった代わりに強烈な退屈がやってきました。

 これは何も東京は刺激が多くて良かった、地方は退屈だ、と言いたいのではありません。実際のところ、東京にいても引きこもっている限り退屈でした。その退屈さ以上にのしかかってくるストレスが目立っていただけです。ストレスのベールが剥がれ、生活の本質が剥き出しになったことで、退屈が露わになっただけです。

 退屈を潰すために色々なことをやっています。運動、料理、絵描き、日光浴……簡単にやれそうなことは有無を言わずに手を出しています。それでも退屈を感じる。これは何故なのでしょうか?

 何かやるべきことがある人間は退屈を感じません。実際、会社に通っていた頃は退屈なんて言葉はありませんでした。とにかく忙しいのみでした。というか、家にいる時間が限られていたので、家でできることを限りなく最適化させようとしており、考えなければならないことがたくさんありました。

 ところが今はどうでしょう。洗濯物はいつでも干せるし洗えるし、アニメだって仕事中に流すことだって可能といえば可能だし、料理だっていつでもできます。ご飯だって食べられます。そうなってくると、段々と緊張感が失われていきます。引きこもりの時間感覚が引き延ばされるのと一緒です。在宅勤務によって私の時間感覚も引き延ばされているのでしょう。

 ですが、そろそろこうした感覚から抜け出さなければなりません。在宅勤務が始まり、それに慣れるまでは仕方がない。そして、引っ越しをして新しい地方の環境に慣れるまでも仕方がない。色々なことに慣れていく内に、新しく慣れなければならない環境を失いました。何かに慣れたい……運動、料理、絵描き、日光浴などには慣れました。他に何か慣れるべきことはあるでしょうか?

 私はどうも常に何か新しい刺激が無いとダメなようです。そして、どうも1つのことが長続きしないタチなようです。今は何か1つのことを無理に続けようとするよりも、この”暇感”を保ちながらやることをローテーションしていくしかないのかなと考えています。

 今日はNoteを書いた、明日は暇だろうから絵でも描こうか、それとも筋トレをガッチリやって気分をスッキリさせようか、それともアニメでも視聴しようか……そんな風に適当に生きていけば良いのでは。むしろ私みたいな者はそうやって生きていくしかないのでは。在宅することでこうしたことに気付けています。ありがたいことです。

 退屈を1日1日と潰していきましょう。他者から押し付けられた忙しさよりは、自分が感じて自分で潰す退屈の方が上等だと考えています。プチプチのビニール袋を潰すように、1つ退屈を感じたら何かをしてそれを潰していくのです。そうやって生活していきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?