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脳に刺激を与え続ける感覚を忘れてる

 連日禁煙に関する話ばかりなのだが、禁煙を始めるとどうしても煙草を吸わない生活に意識を乗っ取られてしまうから仕方がない。再び禁煙に失敗しなければだが、あと2週間くらいは似たような状況が続くだろう。

 煙草を吸う前の話になるが、とにかく映画を見たりゲームをプレイしたりしていた。脳に刺激を与え続けていた。そうしないと日常生活の退屈さに耐えられないからだ。日常生活、退屈じゃないですか? それが喫煙をするだけであら不思議、退屈な日常、繰り返される日常、仕事をしてはインターネットをやる日々に耐えることができる。合間合間に喫煙するだけで満足できてしまうのだ。

 でもまあ、そうした生活におさらばしたい、と願ってしまったのだから後戻りはできない。2016年の春に喫煙をはじめて、2020年の春に禁煙を開始したわけだけど、2014年~2015年の頃の生活をひたすら思い出している。あの頃にどうやって生きていたのかを思い出しながら再現している。

 喫煙を始めると脳に刺激を与える必要がなくなり、生活スタイルがガラッと変化する。刺激を与える必要が無くなるのは良い面もあれば悪い面もある。良い面は頭に刺激を与えるものを頑張って探さなくても済むようになることだ。黙々と仕事に従事することができる。悪い面は……まあこれはよいでしょう。良い面の裏返しが悪い面だと言える。

 いまはどうにかして脳に刺激を与えられないかを試行錯誤しているところだ。刺激を求めている。戦争が見たい。人と人との争いが見たい。10年代の前半は戦争映画ばかりを見ていたのだけど、その理由を思い出した気がする。煙草を吸わないのであれば戦争映画を見るくらいでしか脳が満足させられないのだ。

 FPSも楽しい。脳が闘争を求めている。よく喫煙者が「禁煙厨はいつもイライラしている。煙草を吸えばリラックスできるのに」と禁煙支持者をバカにする構図があるが、あれはある面では正しいなと感じている。イライラしているというよりも、イライラして闘争していたほうが楽しいからそうしてしまうのだ。喫煙すると逆に煙草を吸うタイミングが一番楽しくなるので、エネルギーを浪費する闘争はしなくなる。これも良し悪しだ。

 今の世の中だと喫煙者よりも非喫煙者の方が人数比が大きい。だからまあ、非喫煙者となってイライラしている方が世の中の風潮に合わせて生きていけるのかもしれない。煙草を吸って落ち着き払っているよりは、少しくらい発狂した状態の方が楽しく生きられるのかもしれない。

 生活スタイルを変えないと。楽しくなるためには試行錯誤が必要だ。生活がエンジョイできれば何だって良い。退屈であれば退屈を打ち消すために自分から行動を起こす。当たり前のことだが、楽しさを煙草に与えられすぎて忘れていた感覚だ。なんでも良いからやっていくぞ。

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