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【書評】「虐殺器官」 伊藤 計劃

物語の面白さはもちろんのこと、作者である伊藤 計劃が本作を病床で書きあげたのち夭折したこと、2007年に書かれた近未来SF小説でありながら、当時にとっては近未来といってよい2020年代の現代世界における重要な問題を反映している予言的な要素もあり、伝説的なSF小説としても語られる本作。ようやく読む機会があったので書評を残したい。

世界各国で次々と起こる紛争と悲惨な虐殺。もともと平和を保っていたずのない地域でもなぜか惨劇が起こってしまう。そしてそれらの紛争を背後で操る謎の男ジョン・ポール。アメリカの軍人である「ぼく」は、紛争が世界に広がることを防ぐためにジョンを暗殺する指令を受け、その正体と所在を追い続ける。ついに「ぼく」とジョンが対峙するとき、「ぼく」は衝撃的な世界と現実と人間の真実を知ることになる・・・。

(以下はネタバレ注意)

本作は人が抱える罪の意識の複雑さ ― 自分で判断することで負う罪と、他人に判断させることで責任を負わなかった罪に揺れる男 — の物語であり、テクノロジーによって人が感情と肉体をコントロールできるようになることの倫理を問う話でもあり、近未来の戦争形態を描くSF小説でもある。

このノートでは、人類の進化の視点から本作を理解してみようと思う。

まず、人類の進化とは何かという話。人類の進化とは、環境に人間の特性が適合していった結果ではなく、その環境のもとで生き延びるのに有利な特性を持った人間が結果的に遺伝子を残すことができ、その特性が次の世代に伝えられることで起きた。何十万年というときを経て、子孫を残すために有利な特性が生死と繁殖を通じて選別され、我々人類の特性となった。

ではその特性とは何か。まず我々は利他性のある生き物である。「自分の遺伝子を残す利己的な目的のために利他が必要」とは一見矛盾しているようだが、利他性を持って他者と協調することが、結果的に自分の安全を保証し、自分の子孫を残す確率を高めるということで、利己と利他は両立する。利己のために、利他が必要。平たく言うならば「情けは人の為ならず」は我々のDNAレベルに刻まれているのである。

そうすると、次に問題となるのが利他の範囲である。自分の利己のためには、どこまでの人々が利他の範囲に入るのか。どこまでの「誰か」を助ければ、自分の利益になるのか。

そして、この考え方を資源の限られた世界にあてはめると、自分の利己を満たしてくれる「近い誰か」のためになるならば、「遠い誰か」は犠牲にしても構わない、という恐ろしい考え方につながる。

これがまさに長い歴史を通じて人類が数知れない愚かな戦争を起こしてきた理由である。日本は無謀な太平洋戦争に突入した。兵士たちは、「お国のために」などというお題目に踊らされるほど単純ではなかった。自分の家族、同胞たちを守りたい。「家族と近所の人々」のために、戦場に向かったのだ。

人間の本質は、他人との共存を可能にする利他である。だからこそ他の哺乳類と比べて圧倒的に身体能力の劣る人類が反映してきた。しかし、その利他を与える範囲には地域、人種、宗教、国境などの壁がある。なぜなら人類の利他は、利己に都合の良い範囲でしか有効でないからである。

だから、ジョン・ポールは「アメリカ以外の国で紛争が起これば、アメリカにテロの矛先が向かわなくなり、アメリカは平和になる」という、自国の平和という崇高な目的のために、言葉という「虐殺器官」を使って世界各地に紛争による虐殺をばらまいた。そしてアメリカ政府の高官はそれを黙認していたのだ。

そしてこの物語は、利他の遺伝子が戦争を引き起こしているというだけにとどまらない、一つの恐ろしい可能性を提示する。

人類の歴史で起こる大量虐殺は、人類の遺伝子に組み込まれているのではないか、ということだ。

確かに、自分の利己のために利他が必要で、その利他の範囲に入らない人間は「他人」であり排除しても「利己」にとって問題はない。しかし、わざわざ虐殺する必要があるだろうか?

主人公の「ぼく」は物語のエピローグで、自国であるアメリカを紛争に陥れ国民同士の虐殺を目論む。自分の利己には全く逆行する行動である。これをどう説明すればよいのか。

人類の人口が増え続け、世界の資源を収奪し続けたとき、どこかで人口を減らしたり、収奪を止めないといけない。でないと、どこかで人類は絶滅してしまう可能性もある。そうすると、人類が人類自らを虐殺することで人口を減らす力が働く。人類は長い進化の歴史の中で、そういう自己調整(=虐殺)を担う特性を持った人間を生み出すことを許容することで、人類全体を存続させてきたのではないか。

つまり、「ぼく」は、収奪的なアメリカ国民を虐殺することで、世界規模でみたときには人類の存続を永らえさせる役割を与えられた、人類何十万年の歴史の中で同様の役割を果たしてきた数知れぬ人々の一人なのではないか。言い換えるならば、「ぼく」は、人類が種を残すために生み出した、残酷なまでに壮大な、人間の遺伝子に組み込まれた自己調整メカニズムの発露の一つなのではないか。

妄想が過ぎたかもしれないが、この小説には人間の本質についての考えを多いに刺激される。


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