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「所有」の是非について思うこと


1.徹底した「共有主義」

今、にわかに「縄文ブーム」が起きている。

縄文時代は一万年以上、争いのない平和な社会が持続した。

理由は様々あるだろうが、そのひとつに縄文人が「所有」の概念を持たなかったことが挙げられる。

富は所有せず、みんなでシェア。

所有しないのは「モノ」に限った話ではなく、「家族の概念」も縄文時代にはなかったらしい。

・家庭を持つ
・妻帯する

これらも広い意味では「所有」に当たるというわけだ。

「家族」という概念は存在せず、子どもは「家庭」ではなく「社会全体」で育てるもの。

徹底した「所有」の否定が、平和に貢献したのは間違いない。

現在も「シェアリングエコノミー」など、縄文を彷彿とさせるトレンドが次々と生まれ始めている。

しかし「所有」を全否定するのは、少し違うのではなかろうか。

モノを「所有」することで、文明が進歩・発展した側面もあるはずだ。

「所有の是非」について、時代の流れやエネルギーの観点から、考察を深めてみようと思う。


2.モノに宿るエネルギー

「所有」について考える時、次の「ストラディバリウス」の逸話がとても参考になるだろう。

「世界一高い楽器」として有名な「ストラディバリウス」

実際に落札された最高額はなんと、12億7千万円とも。。。

名器「ストラディバリウス」
【数億円の値が付くバイオリンの名器「ストラディバリウス」の音色を生み出す化学物質とは? 】「https://gigazine.net/news/20210818-stradivari-violin-chemicals-produce-sound/」より引用

そんな「ストラディバリウス」を「完全再現」しようと、興味深いプロジェクトが持ち上がる。

以下に挙げるストーリーは、葦原瑞穂さんの名著『黎明』からの引用だ。

『黎明』葦原瑞穂著(太陽出版)
【著書『黎明』と縁を持つ意味と葦原瑞穂さんの使命】「https://takubotakeshi.jp/reimei_200202」より引用

テクノロジーをフル活用して「現代版」ストラディバリウスを作り出そう。

ストラディバリウスの寸法をナノ単位で計算し、素材もそのままストラディバリウスと全く同じものを使用する。

塗装されているニスの含有成分まで全て割り出し、ストラディバリウスを「完全再現」したレプリカを作り出す。

そうして科学技術の総力を結集した「現代版ストラディバリウス」を、一流のバイオリニストに試用してもらうと・・・

何だこのポンコツは
まるで使い物にならん

弾き始めるや否やすぐに酷評され、全く相手にされない。

なぜ、こんなことが起こるのか。

寸法も、素材も、はてはニスの成分まで・・・

外見はストラディバリウスと寸分違わぬ代物だ。

ここで「エネルギー」について見てみよう。

以下の図を見て欲しい。

肉体の外側に広がるエネルギー体
【あくざわ鍼灸院】「https://akuzawa.jp/shinkyu/emsound/」より引用

人間は「目に見える存在」としてだけでなく、その外側に「エネルギーの層」が広がっている。

肉体
エーテル体
アストラル体
メンタル体
コーザル体
etc…

コーザル体の外側にも「ブッディ体」と呼ばれる層があるようで、こうしたエネルギー的広がりに終わりはない。

そしてこのような「エネルギー」は、人間以外の「モノ」にも同じように見受けられる。

ここで先ほどの「ストラディバリウス」を見てみよう。

「ストラディバリウス」も同じように「モノ」としての外側に、エーテル体→アストラル体→メンタル体…といった各層が含まれる。

そしてアストラル体やメンタル体といった「高次の」層には、製作者や奏者の想い、あるいはそれを聴いた聴衆の感動といった、様々な「エネルギー」が刻まれる。

それがストラディバリウスをストラディバリウスたらしめる「本質」で、「見える部分」における物質的要素は言わばその「反映」といったところだろう。

どれだけ現代の科学技術を結集しても、ストラディバリウスの刻んだ「エネルギーの厚み」を再現するのは不可能だ。

一流のバイオリニストの目はごまかせない。

一流の奏者はモノをモノとして扱うのではなく、その「エネルギー」を相手のハートに響かせる。

それが聴く者の感動を呼び起こし、ひいてはそれが「意識の進化」へとつながってゆく。

一流はそれを分かっているから、単に「見た目」を模造しただけの「レプリカ」には目もくれない。

モノに宿るエネルギー。

それを踏まえた上で改めて「所有」について目を向けると、それまでとは違った側面が見えてくる。


3.「所有」が引き出す「個の才能」

自分の「商売道具」を他人に貸すのを嫌う人はたくさんいる。

そういう人は「道具のエネルギー」が狂ってしまうのを、直感的に知っている。

元大リーガーのイチローさんは現役時代、道具を人に貸すのはもちろん、他人の道具に触れるのも避けていたという。

「他人の感覚が自分に乗り移ってしまう気がする」

そうした理由から、道具にはとりわけこだわっていた。

イチローさんだけではない。

「一流」はほとんどの場合、自分の「道具」に強いこだわりを持っている。

道具の持つ「エネルギー」がパフォーマンスを左右するのを知っており、そのため道具の「ケア」や「手入れ」も怠らない。

そうした中で「所有の概念」をなくしてしまったら、どうだろう?

一流が「一流としての仕事」が出来なくなる。

これは何も「一流の世界」に限った話ではない。

例えば「万年筆」は、ペン先が主に18金や14金で出来ているが、金は素材的に柔らかく、書き手のクセや筆圧によりペン先が徐々に削れていく。

万年筆のペン先
書き手のクセや筆圧によりペン先が持ち主に合った形へと仕上がっていく
【ナガサワ文具センター】
「https://kobe-nagasawa.co.jp/fountainpen/ 」より引用

このように同じモノや商品であっても、持ち主によって「物理的に」形状が変化するものも多くある。

「所有」という概念があればこそ、持ち主の才能が最大限発揮され、それがひいては「意識の進化」へと結びつく。

「所有」が対立や戦争をもたらしたのは確かだろう。

けれども、それが「人類の進化」に貢献した側面も否めない。

「所有」することで、持ち主の才能やパフォーマンスが磨かれる。

この世界を生き抜く「個としての強さ」が養われる。

これから世界が「良くなっていく」のは、間違いない。

けれでもそれは「何をしてもいい」ような、甘っちょろい世界ではないはずだ。

「正直者が報われる」ような生易しい世界ではなく、「正直者しか生き残れない」。

これから待ち受けるのは、ある意味そうした「厳しい世界」でもあるはずだ。

生まれ持った才能を徹底的に磨くことで、宇宙や社会に貢献する。

「完全自己責任」と「絶対的自由」

「自己の確立」や「自立」が、何より求められるだろう。

その上でモノを「所有」するのは、一定のメリットがあるはずだ。

宇宙的サイクルとして、これから「縄文」が再興するのは確かだろうが、それは「従来の縄文」と全く同じではないだろう。

「歴史は繰り返す」と言われるが、「全く同じ歴史」が繰り返されることはない。

宇宙は常に生成・発展を続けており、「これから興る縄文」は「従来の縄文」より、何らかの形で進歩・成長を遂げている。

「所有」を完全否定するのではなく、それを「創造性」へとつなげることで「宇宙の進化」に貢献する。

「所有」という西洋的概念を「切り離す」のではなく、「超えて含む」ことで新たな在り方を模索する。

洋の東西、西洋物質文明と東洋神秘主義を統合することで、新たな時代を切り拓く。

「新・縄文文明」において、「所有」は一体どんな役割を果たすだろう?

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