分からないものを分からないままに出来る強さ
前回取り上げた「第二層の意識」についての続編です。
「第二層の意識」についての投稿はコチラ↓↓
この先一体どうなるのですか?
あの人の言っていることは本当ですか?
私は何をすればいいのですか?
「複雑性の時代」と言われる今、
「一寸先は闇」の言葉通り、
フェイクニュースの増加も相まって、
誰も将来を明確に見通すことが出来ず、
社会は混迷を極めている。
こうした混迷の時代において大切なのは
「宙ぶらりん」の状態に耐える力、
言い換えると「分からないものを分からないまま出来る強さ」が、
誰にとっても求められる。
先が読めず、
未来がハッキリと見通せない時、
安易に「答え」を他人に求めるのは、
あまりにもリスクが高すぎる。
仮に答えをくれた人が
ウソをついていたらどうだろう?
自分のアタマで考えず、
安易に答えを求める人は、
そうしたウソに気づけない。
ウソをついたり騙すつもりはなくとも、
誤った情報を伝えてしまうリスクは誰にとってもあるわけで、
内容の真偽を判断できるリテラシーがないのであれば、
安易に他者へ聞くべきではないだろう。
まずは自分のアタマで考える。
「時間」と「足」と「お金」を使い、
できる限りやってみる。
それでも分からなければ「保留」にする。
この「宙ぶらりん」のストレスが、
「洞察力」を引き上げる。
「分からない状態」は強烈なストレスを招来するが、
一方でそうしたストレスが自分の「センサー」や「アンテナ」を刺激することで、
今まで捉えることの出来なかった情報が次第に入り込んでくる。
情報に対する「感度」が上がることで、
自身の「世界観」が磨かれる。
世の中の「裏側」が見えてくることで、
この世界の「仕組み」が腑に落ちる。
「宙ぶらりん」のストレスに耐えるのは、
ちょうど「筋トレ」と同じようなもの。
「キツイ」と感じる負荷をかけなければ筋肉が大きくならないのと同様、
情報リテラシーも「分からない」というストレスと正面から向き合わねば、
本当の意味での「判断力」や「洞察力」は身に付かない。
近頃は「情報弱者」という言葉もあるが、
これは持っている情報の「多寡」ではなく、
情報に対する「姿勢」の違いを指している。
YouTubeを見まくることで、
「自分は裏事情に通じている」と思う者もたくさんいるが、
これはむしろ「情報弱者」に分類されるだろう。
どんなにYouTubeを見たところで、
内容の「真偽」はどう判断するのか。
真偽の判断は「文脈」に拠るため、
そのユーチューバーが
どんな思想を持ち
どんな立場から
どんな目的で
情報発信しているか。
そうした「背景」や「文脈」を捉えることが出来なければ、
内容の「精度」や「真偽」については計れない。
「文脈」を捉える洞察力は
「時間」と「足」と「お金」を使い、
自分のアタマで考えなければ
つまるところ身に付かない。
<分からなければYouTube>
これでは一切自分のアタマを使っておらず、
全てが他人の「受け売り」であるため、
むしろ「情報弱者」のお手本のようなものだろう。
安易に答えを求める者はサギにもかかりやすく、
カモられるリスクが非常に高い。
情報化社会において
自分のアタマで考えるのを放棄するのはすなわち、
人生の主導権を他人に預け渡すのと同じだろう。
さらなる情報化の進展と共に、
社会は「二極化」を深めていく。
「答え」を安易に求める者と、
自分のアタマで考える者。
キツイ言い方になるが、
前者のたどる道は「奴隷」のそれと変わらない。
いわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる「広告塔」に追従することで、
自分ではそれと気づかぬうちに、どんどん洗脳されていってしまう。
繰り返すが、
大切なのは知識の「多寡」ではなく、
情報に対する「姿勢」の方。
「文脈」を捉えることが出来なければ、
事の「真偽」は計れない。
次の例文を見て、
あなたはどう感じるか?
・山に登る
・山を張る
・山田さん
同じ「山」という字を含んではいても、
それぞれの意味はまったく違ったものであるのが分かるだろう。
「山」という字の意味を決定するのは、
その背景に位置する「文脈」に他ならない。
これはあらゆる情報に言えることで、
どれだけ「背景」や「文脈」を見通せるかという洞察力が、
各々の情報リテラシーを決定づけることになる。
先述の通り、
「洞察力」は「筋力」と同じで、
適度な負荷をかけることでしか
その発達は見込めない。
分からないものを分からないままに出来る強さを持つこと。
情報社会における必須のスキルと言えよう。