勝つことが滅びることにつながる
これからは「勝つことが滅びる」ことにつながるという。
それを自分なりに解釈すると、
「勝者と敗者が入れ替わる」のではないかと。
戦争を例に出すと分かりやすい。
古代史において最大規模の戦とされる「壬申の乱」(672年)
楠木正成が討ち死にした「湊川の戦い」(1336年)
明治維新によって起こった「戊辰戦争」(1868年)
これらは全て八百長(出来レース=ヤラセ)だ。
学校では「戦争は国家間の利害対立によって起こる」と教わるが、
実際はやる前から「勝者」と「敗者」は決まっている。
つまりは「八百長」。
戦争のほとんどは「出来レース=ヤラセ」。
おそらく「大東亜戦争=太平洋戦争」もそうだろう。
真珠湾攻撃が「戦略的合理性」を欠くのは明らか。
真珠湾攻撃の非合理性については、林千勝氏が「陸軍省戦争経済研究班」の調査を通じ、詳細にまとめている。
それによると、
日本が採るべき合理的戦略は、真珠湾攻撃による「東進」ではなく、
進路を西に取ってインド洋を押さえる「西進」。
日本が「インド洋」、
同盟国のドイツが「大西洋」の制海権を押さえる。
それによって「物流網」を遮断し、
「イギリス」を兵糧攻めにして干上がらせる。
ターゲットは「アメリカ」ではなく「イギリス」だ。
アメリカの同盟国「イギリス」を屈服させ、
それに乗じて連合国を講和の舞台へ引きずり出す。
この作戦が成功すれば、
日露戦争のような「完全勝利」とは行かないまでも、
「イーブン」に持ち込める可能性は十分あったと言われている。
なぜ山本五十六は、
日本を破滅へと追い込むような行動を取ったのか。
ここにも「八百長」の可能性が疑われる。
なぜ「出来レース」で戦争を起こすのか。
その「目的」や「背景」は後世を生きる私達が、
検証を重ねる必要があるだろう。
ひとつ確かに言えることは、
戦争が「出来レース=ヤラセ」である場合、
「本当は負けた側の方が強い」ということ。
シナリオやグランドデザインは「負ける側」が描くということ。
本当は「負けた側」の方が強い。
これが分かると「歴史」や「社会」は一変する。
勝つことが滅びることにつながる。
それはすなわち、
従来「勝者」とされてきた者は、
実のところ本当に「強かった」のではなく、
単に「勝たせてもらっていた」だけであること。
誰もが薄々気づいている。
会社勤めをしたことのある人なら、
なおさらよく分かるだろう。
出世街道をひた走る人より、
窓際で「縁の下の力持ち」に徹する人の方が
はるかに精神性が高いこと。
声がデカいだけの幼稚な人間が、
(敗者のレッテルを貼られた)精神的長者に支えられることで、
これまでの社会は成ってきた。
「明治維新」はその典型。
「維新志士」と言えば聞こえはいいが、
「奇兵隊」など実際は低俗なチンピラ集団と言って差し支えなく、
本当に偉く優秀なのは「幕臣」の方。
情報公開が進むにつれ、
あらゆる価値が「反転」する。
「認識」が変われば「社会」が変わる。
「社会」が変われば「価値観」が変わる。
以前、ある霊能者が次のような話をしてくれた。
聞いた私は二の句が継げない(笑)
しかし、私の直感は
これが真実であると告げていた。
(正直マジで怖すぎる・・・)
これからどんな社会が訪れるのか、
その全貌は誰にとっても未知数だが
とりあえず女性に逆らうのだけはやめておこう(笑)
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