10/16

朝からドナリーの練習した。黒本は指番号なんてそう書いてないし、トランペットのフレーズを鍵盤で弾こうとすると指遣いが難しい。でも右手なら30分くらいで割と弾けるようになった。両手で高速ユニゾンしたい。
なんにしろ覚えないとなので教室まで行く間もずっと聴いてた。

昼は学食のサンドイッチ買って池の周りのベンチで食べた。こんなポカポカ陽気なのに室内でベルトコンベアみたいな定食を食べている人間は一体何を考えているんだろう??これから寒くなっていく一方だよ、今のうちだよ。

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ドイツ語の授業で不規則変化動詞を音読させられるとき、変化の表を見ながら音読しているけれど、一回覚えたら見ないで音読した方が覚えるはずだよなあ。と思ってから、福田がやってた目隠し将棋を思い出した。
楽譜を見ながら弾くのは得意だけど、聴いた音を覚えて鳴らすのは苦手だ。
記憶した方が「上達」するのだけどやっぱりリソースを使うし負荷がかかるから外付けメモリに頼る。そうすれば身体は軽くなるし他の動作がしやすいから。
でもドライバに不具合が生じたら終わりだ。
DVDプレイヤーみたいに友達が都合よく貸してくれたりすることは有り難い。
外部環境、特に視覚情報に頼るというのは、脳の動作を助けはするものの、脳内の環境構築を怠けさせる。
短歌を作るとき最初は指を折って音数を数えていたけど、今やすっかり内在化されて、息とか脳内のリズムで定型との距離が分かる、、。
うーん、これは環境構築というよりは素直に身体化や内面化って言いたいけど、それは定型っていう構造がシンプルだからそう思うだけで、インストールにかかる時間とストレスが少なかったから「構築」感がなかったんだろうな。
将棋もピアノも言語学習も結局は環境構築という名の身体化が求められてて、ただあまりにその構造が複雑だから、外部環境に頼ってしまうと。

えー、じゃあアントニオ・ロペスがマルメロの木を凝視していたのはどう説明しよう。
疲れたからまた今度。

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余談だけど、「目隠し将棋」が正式名称ではない気がして(実際に「目隠し」しているわけじゃないし将棋用語的なのがありそうという感覚があり)調べたら、まあ別に正しかったんだけど、それとは別で「藤井聡太は脳内に将棋盤がない」というインタビュー記事を見つけて、意味がわからなかった。
藤井聡太まで行くとやっぱり次元違ったりするのか?なんなんだ、まじで。

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