見出し画像

お城へ To Go (月山富田城)

 尼子氏の巨大山城、月山富田城(65・島根)です。押印は平成29年12月9日で、山麓の安来市立歴史資料館にて押しました。

 尼子の本城として、大内、毛利の大軍を撃退してきた難攻不落の堅城で、藤原景清の築城とされ、出雲守護が居城として用いていました。ここに京極氏の守護代であった尼子氏が入城してから、戦国大名としての尼子の本拠地となっていきます。

 尼子経久による全盛期には山陽・山陰11か国を従える規模になりますが、晴久の代で毛利元就と対立、吉田郡山城を落とせないうちに、経久死去に伴い勢いを失っていきます。
 この頃、毛利元就は、尼子最強と言われた新宮党へ離反工作を開始。仲違い画策して成功すると、戦力は極度に低下し、最終的には毛利の兵糧攻めにて開城。毛利氏の支配下となります。
 以後、山中鹿之助による尼子再興の動きがあるも、結局は滅亡に至ります。関ケ原の合戦後は、堀尾氏が入城するも、領国経営の観点から松江城へ本拠を移動、ついには廃城となるわけです。

 尼子の良い時代の象徴としての城で、尼子亡き後は悲しい末路といったところでしょうか。現在でも「我に七難八苦を与えたまえ」で有名な山中鹿之助が、太鼓壇で祈っております。

 大変規模の大きな山城という印象で、山中御殿から、七曲りを上がると、詰めの城的に本丸、二の丸、三の丸となり、御殿から下ると、花ノ壇、太鼓壇と大きな曲輪が続きます。
 山麓の平坦部や尾根の峰々に建造物が建てられ、復元建物もあるので、とても見どころ満載の山城です。尼子の勢力の大きさを改めて知ることができます。

 歴史の流れ的には、毛利の前座的な尼子ですが、その強大な力を改めて感じる山城でした。全盛期の尼子経久は、大河ドラマ『毛利元就』でも、元就の敵でありながらも、その知略の師匠的な役割であり、その老獪な役を緒形拳が演じておりました。尼子あっての、毛利ということなのですね。

尼子氏の城郭と合戦 (図説日本の城郭シリーズ10)画像

尼子氏の城郭と合戦 (図説日本の城郭シリーズ10)
寺井 毅 戎光祥出版 2018-09-27

山中鹿介幸盛~山中鹿介ハンドブック画像

山中鹿介幸盛~山中鹿介ハンドブック
藤岡大拙 ハーベスト出版 2020-10-15

安来節4点セット鼻あて ザル・ビク・手拭・鼻あて 箕 どじょうすくい 踊り小道具 ドジョウ掬い画像

安来節4点セット鼻あて ザル・ビク・手拭・鼻あて 箕
どじょうすくい 踊り小道具ドジョウ掬い
下八重商店

配信元:裏辺研究所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?