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お城へ To Go (津山城)

 一二三段の石垣が素晴らしい津山城(67・岡山)です。押印は平成28年9月3日です。津山駅から歩いて10分ほどで行けるのでアクセスいいです。

 室町時代に山名忠政が築いた鶴山城が基盤となり、森忠政(この人も忠政!)が改修し、鶴山(つやま)から津山と改名して津山城となりました。
 応仁の乱以降、この地の支配者は次々と変遷していったのですが、関ケ原の後、小早川が領有、取り潰しになったことで、信濃川中島から森忠政が入り、居城としたわけです。

 この築城にあたっては面白い話があります。森忠政は九州小倉城の天守を理想とし、家臣に現地調査させたところ、怪しまれ捕えられてしまいます。しかし、事情を聴いた城主細川忠興は、今度は一転して調査を許可し図面まで与えて、この家臣を津山へ帰したとされます。そして天守完成の時には、天守最上階に飾る釣り鐘を寄贈したというから親切な人ですね。

 ちなみに、この忠政は森蘭丸(本当は乱丸)の弟で、5人の兄がすべて早世したために家督相続となったという人です。その後もこの森家は跡継ぎに恵まれず、5代目が発狂し、そのまま所領没収という結構不幸な系図です。その後は結城秀康の系列の松平氏によって幕末まで続くことになります。

 この巨大な平山城は12年もの歳月をかけて築城され、全体が雛壇のように造成され、高石垣で形成されています。関ケ原直後の軍事的緊張を反映した要塞といわれるゆえんです。
 実際に城内を歩くと、高石垣がそびえたつ横を進み、複雑な折れ曲がりや石段が次々と現れるさまは、技巧が凝らされて感動です。天守曲輪などはちょっとした迷路のようで、圧倒的な軍事力へのこだわりを感じます。
 こうして天守台に至るわけですが、2013年には美作建国1300年として18日間限定で、発泡スチロール製の天守が復活していたようです(実物の二分の一だったようですが)。実際の津山城の天守は、明治の廃城令により取り壊されているようです。

 ちなみにこの津山の地は、津山ホルモンうどんで有名なことに加え、八つ墓村の原案ともされる「津山30人殺し」の地でもあります・・・

絵図で歩く津山城下町画像

絵図で歩く津山城下町
尾島 治 吉備人出版 2016-07-27

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日本の名城 よみがえる 津山城 お城 模型 ジオラマ完成品 A4
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津山事件の真実(津山三十人殺し)
事件研究所 フローマネジメント 2011-08-15

配信元:ウィキペディア

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