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ガレノス『自然の機能について』:目的論的「自然力」を考える

 錬金術やエーテルなど忘れ去られた概念によって、医学が新たな姿を現すということは、言われてみれば当たり前なことなのかもしれません。時折、そもそもの原点(原典)に還ることで、日々の診療を見直してみたいと思い新しいカテゴリーを作ってみました。

 いま、私たちが見ている現代医療的な「身体像」は、唯一の正しいものというわけではないでしょう。この人類と少し異なった別の人類があったとしたら、すこし異なる科学体系を形成していたかもしれませんし、そこから生まれた医学もまた様相を異にしたものとなっていたでしょう。
 別な人類を想定しないまでも、文明の異なりによる伝統医学の相違をみれば、異なる体系の創出はむしろ自然なこととも言えます。

 ヒポクラテスによって形成された医学が、ガレノスによって発展・整理され、ひとまずの完成となり、体系化された古典医学が、ルネッサンスを経由して科学的な「医学」に変貌する、というのが通常の医学史の概略になります。
 こうした解釈では古いものの代表のような扱われ方となりますが、果たしてそうなのだろうか、という疑問と共に原典を読んでいくと、そうした風景とはまた違った景色が広がります。

 ガレノス『自然の機能について』を読んで感じるのは、ガレノスの理屈っぽさというより議論の強さです。
 次々に敵対する学派を、容赦なく論破していきます。詳細な論点は、つかめていないのですが、ヒポクラテスの記載を読み込み、それを目的論的に体系化し、敵対する学派の矛盾を突くといった感じです。
 いわば原典であるヒポクラテスの記述を、詳細に読み込んだ上に体系化しているといった感じ。ここに一つの「自然力」という概念を用いて、一大医学体系の基盤としているのです。
 つまり他の学派はこうした基盤となる「力」を想定しない代わりに、血液過多病因論を形成する「空虚再充填説」や、体液を微細化された粒子でその流れの途絶などが病因を形成する「微細分化説」などにより、現実の医療行為の説明とします。それに対してガレノスは目的論的な「自然力」により自説の正当性を主張していくのが『自然の機能について』の内容となりそうです。

 一読して感じるのは、説明原理としてはホメオスターシスなどの現代医学における説明原理としてもあまり違和感がない、というよりは根底においては、議論展開を好む医学者の論理そのもののようにも感じます。印象的には、現代の病態生理学的な説明に極めて近い印象です。現代医学の「おり」のようにべったりと、その「底」にガレノスの影響が残っているのかもしれません。
 このガレノスの体系は、こののちにイスラム医学を経由して、現代の欧州の医学体系の基礎を形成するわけですから、さもありなんといったところでしょうか。
 また、ガレノスに敵対するアスクレピアデス学派や方法学派の医学思想については、二宮陸雄先生は、中国医学思想に近いと指摘しているのも興味深いです。
 つまりガレノスの勃興により、これらの伝統学的な様相が異なってくる一因にもなったかもしれないわけです。

 いずれにせよガレノスの「自然力」「自然生命力」といった概念は、かなり根深く私たちに根付くとともに、改めてこの思考法を研ぎ澄ますことが、日々の診療の新展開につながるように感じました。ヒポクラテスとの関連から、よりガレノスの独自性が見えてくるのかもしれません。この強い思想をもう少し見ていきたいと思います。

 ちなみにガレノスへの興味はこれにとどまらず、当院での実際の診療の形態にも類似点を見ることができます。具体的には、ガレノスは疾患への対応として、栄養の補給に加えて、瀉血を重要視した点が挙げられます。
 静脈からの大量の瀉血に限らず、ソフトなものまでいろいろなバージョンがあったようで、自然生命力の発揮を目的に、栄養と瀉血を組み合わせていたというのは驚きでした。まさに現代医療の中で当院は、ガレノス医学を知らないうちに実践していたということになりますね。

自然の機能について (西洋古典叢書)画像

自然の機能について (西洋古典叢書)
ガレノス 京都大学学術出版会 1998-08T


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