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お城コラム 犬山城

 城郭検定を受験するか否か、思案の毎日(笑)なのですが、その過去問に、天守最上階が赤絨毯の城は?という問題があり、久々に思い出したので、今日は犬山城です。ちなみに検定なんて受けてどうするんだ?という声も聞こえてきそうなのですが、これはやはり結果ではなく、プロセスだと!というくらいしか理由はないですね。合格証書をクリニック内にはってもしょうがないし(^-^; 

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 現存最古といわれる国宝天守、犬山城(43・愛知)です。押印は平成23年11月19日、城郭内休憩所で押しました。名古屋から犬山線に乗って犬山遊園駅から徒歩でいけます。
 これまで最古の天守については、丸岡城説が有力だったようですが、近年、慶長以降の築城とする説が有力になり、犬山城とするようです。また変わるかもしれませんが。

 荻生徂徠によって「白帝城」とも称された城で、直下を木曾川が流れるさまを「長江」と見立て、三国志の劉備玄徳終焉の地になぞらえた別名となっています。
 つまり縄張りとしては、城郭の北側が木曾川で守られ、南側は惣構により防御されていたようです。また二の丸を約70mの大手道が直線的に伸びるさまは、まさに安土城といってよい構造です。

 信長のおじ織田信康によって築城されたといわれ、数々の合戦の舞台となっています。その後、信長との対立により、信康の子信清が城を追われると、池田恒興が入城。その後も、紆余曲折あって秀吉政権下では、石川貞清が城主に、さらに徳川期になり最終的には尾張藩付家老、成瀬正成が城主となり、成瀬氏が幕末まで続くことになります。

 とにかくこの城郭のすばらしさは、天守からの眺望につきます。眼下の木曾川の流れに加え、晴れたら岐阜城、小牧山城、名古屋城までも見えるというくらい濃尾平野を一望できます。
 訪問時も、窓を開け放たれた天守は、気持ちの良い風が通過し絶好の眺望でした!
 ここに赤絨毯が敷かれていたのも、印象的で、後で調べてみると、7代城主がオランダ商館長から入手した貴重なものらしく、城主が最上階に上ることを前提にしてしかれていたらしいのです。
 つまりほとんどの天守最上階は上る前提でないことが少なくない中、城主が訪れる前提での最上階だったということがわかります。
 これほどの眺望ですから、やはり城主ですからみてみたいですよね。赤絨毯にそこまで意味があるとは、訪問時は分かりませんでした。

 ほんとに「これぞ天守!」という気持ちなれるお城です。天気の良い日にぜひ再訪したい名城です。

配信元:裏辺研究所

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