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寝弘法(ねこうぼう)
岐阜県恵那市にある笠置山を東野や大井方面から見ると、弘法さまが仰向けに寝ている姿に見えるとして、いつの頃からか「寝弘法(ねこうぼう)」と呼ばれていたそうな。
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以前作っていた東野の田んぼからよく見えたんですよ。一番よく見えるのは阿木川ダムを登る坂あたりからです。また東野からだと弘法さまが笠をかぶっているようにも見えるとも言われてますし、目鼻立ちもはっきりしてます。けども〜、寝てるのに笠ってのも無理がある気がするんですよね。あと顔の比率がでかい。
実は岡瀬沢から見た方が全体のバランスが良いですのよ。↓ほら。
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絵で描いて合わせてみたりして。一番有名な弘法さまの肖像画を参考に寝ている姿を描いてみました。
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胸のあたりが山頂。ちょうどポコポコっとなっているのでホントは手を合わせて見えると言われていますが、ワタシ的には「金剛杵(こんごうしょう)」という密教の儀式で使われる法具に当てはめてみたりして。たいていの絵や像はこの法具を持っていますんでまねっこしてみました。
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弘法大師=空海。
ところで、もしかして知らないひともいるかもなんで書いておきますが、弘法さまは空海さんと同一人物ですのよ。平安時代の初期に実在したお坊さんで、遣唐使として唐で密教を学び、帰国後に真言宗という宗派を開いて高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を創建したお方です。
どうして弘法大師なのか?というと、醍醐天皇より弘法大師という諡号(しごう=贈り名)を賜ったからです。その賜ったタイミングというのが、空海さんが六十二歳で入定(にゅうじょう=「禅定(ぜんじょう=心が動揺することがなくなった状態)に入る」という意味で、ことに空海さんが永遠の瞑想に入っているという信仰を指す)した八十三年後の事なんですよねえ。
伝説。
空海さんは三十歳の頃に唐に渡ったのですが、日本ですでに習得していた中国語や密教に必要なサンスクリット語(梵語)に磨きをかけ、本来二十年の予定が、わずか二年で密教の真髄をマスターして日本に帰ってくるという天才っぷりと、仏教のみでなく当時最先端の農業や土木技術、薬学などなどを日本に伝えた人であり、有数な能書家でもあり、おまけに文才もありと、まさに伝説の人だったので話に尾鰭がついて「それホント?」な伝説も山のようにあります。
たくさんあって面白いのでちょろっと書いておきます。
特に水に関する伝説はどっさりありまして、弘法さまが錫杖(しゃくじょう)や独鈷(とっこ)で地面をつくと泉が湧き井戸や池となった、といった伝承をもつ場所は弘法水(こうぼうすい)、独鈷水(とっこすい、どっこすい)、御加持水(おかじすい、おかじみず)などとも呼ばれまして、日本全国で千数百件にのぼるんだそう。
錫杖(しゃくじょう)というのは僧侶や修験者が持ち歩く杖で、頭に数個の鉄の輪っかが付いていまして、振ったり地面を突いたりすると輪っかがシャンシャン鳴って読経の際に調子を取る楽器にもなります。
独鈷(とっこ)というのは、前に書いた金剛杵の一種で本当は独鈷杵(とっこしょ)と言って、槍状の刃が柄の上下に一つずつ付いたものを指します。他にも刃がフォークのように三本に分かれた三鈷杵(さんこしょ)、中央の刃の周囲に四本の刃を付けた五鈷杵(ごこしょ)などなど、形や刃の数により何種類もあります。
絵や像だと五鈷杵が多い気がするんだけど、なんで独鈷杵に限定されるのだろうか?と不思議に思うのですが、ワケの考察は後ほど。
御加持水ってのは、もんのすごく簡単に言うと「仏の加護がある水」って意味です。
そして水もあればお湯もある。弘法さまにまつわる温泉は全国各地に二十箇所以上あるんですよねぇ。いわゆる開湯伝説。
弘法さまが唐で地学の知識も身に付けていたというのも一説。そして日本全国を勧進して廻った遊行僧である高野聖(こうやひじり)が、水や湯を探り当てた際に宗祖たる弘法さま、空海さんの名を借用したというのも一説。‥ていうか、ほぼこれでしょう。しかしながら弘法さまの歴史上の足跡をはるかに越えたこの話は、まさにロマン、伝説と言えますな。
で、先ほどの独鈷杵のギモンについて。高野聖はたいてい錫杖を携えて歩き、独鈷杵も所持していたかと。金剛杵は先っぽの数が増えるほど装飾も豪華になって高価ですし、持ち歩くのにはあまり向いてない気がしますので、持ち歩くとしたらきっとシンプルな独鈷杵だったんでしょうねぇ。
ちなみに忍者大好き少年だったワタクシにとって、この独鈷杵は武器としてインプットされていまして、山伏や修験者に扮した忍者はこの法具を武器にしてたんですよね。忍者でなくても旅人が護身用に所持していたという話もあります。そして忍者が自分たちの飲み水を確保するために水脈を探し当てたりしていて、それが弘法さまゆかりの水として伝承されてたりして。う〜ん、ロマンある〜。
そして最後むりやりに〆るようですけども、真言宗では、空海さんは入滅ではなく入定とし、高野山奥之院の霊廟において現在も禅定を続けているとされています。千二百年の間毎日一日二回の食事が届けられ、毎年入定した日には衣類も用意されて、「まだ生きている」というのが一番の伝説かも。
笠置山そのものを弘法さまに見立てたのも、高野山で入定した伝説にあやかったものなんでしょうかねぇ。
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