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戦国武将と味噌汁の話

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<お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 「お味噌汁復活委員会」は、味噌汁の大切さをあらためて発信していこうと、2014年夏にFacebookページにてスタ…
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#戦国武将

第6椀 信玄のほうとう風お味噌汁

初出:2015年1月23日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 戦国武将と味噌汁の話その1 「信玄のほうとう風お味噌汁」 今回から、ワタクシの大好きな戦国武将と味噌汁の話を数回シリーズで書かせていただきます。 岐阜県飛騨地方の「朴葉味噌」という料理は、野菜やきのこなどと味噌を朴葉にのっけて、下から炙りながら食べるというものでして、調理器具も食器もいらない極めて実用的な野戦食だったそうです。ごはんをつぶして串に刺して味噌(醤油)だれをかけて焼く「

第7椀 信長の天下取り味噌汁

初出:2015年2月10日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 戦国武将と味噌シリーズその2 「信長の天下取り味噌汁」 戦国武将は味噌の重要性をよく知っていたという話のシリーズ2回目です。 愛知の郷土三英傑と言われるのが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。この愛知出身の軍勢が何故強かったのかというと、実は豆味噌の功績が大きかったのではないかと言われてます。愛知の豆味噌というのは、大豆に直接麹菌をつけた「豆麹」と塩だけで長期間熟成したもので、水分量も

第8椀 家康の芋茎味噌汁

初出:2015年3月6日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 戦国武将と味噌シリーズその3 「家康の芋茎味噌汁」 戦国武将は味噌の重要性をよく知っていたという「戦国武将と味噌」シリーズ3回目です。 三河出身の徳川家康は野戦がめっぽう強かったそうでして、家康が好んでいたというと言う話ではありませんが、その時代に実際に作られていたという究極の野戦食が「芋茎縄(いもがらなわ)」というものです。これは里芋の茎(ずいき)を味噌で煮て、乾燥させたものを縄

第10椀 政宗の牛汁

初出:2015年4月22日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 戦国武将と味噌シリーズその4 「政宗の牛汁」 戦国武将は味噌の重要性をよく知っていたという「戦国武将と味噌」シリーズ4回目です。 伊達政宗は、もう少し早く生まれていたら天下を獲っていたかもしれない…と言われたほどの武将ですので、もちろん味噌についてもぬかりはなかったようですね。秀吉の命で朝鮮出兵した際、伊達軍の持っていた味噌だけが夏場の暑さにも変質せずに美味しいままだったので、他

第13椀 彦左衛門の勝男味噌汁

初出:2015年6月8日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから テーマ:戦国武将と味噌シリーズその5 「彦左衛門の勝男味噌汁」 お戦国武将は味噌の重要性をよく知っていたという「戦国武将と味噌」シリーズ5回目です。 大久保忠教(通称彦左衛門)は、三河の岡崎に生まれて徳川家康の側近として、関ヶ原の戦でも本陣で槍奉行を務め活躍しました。家康亡き後も、秀忠、家光の三将軍に仕え「天下のご意見番」といわれた武将で、当時としてはめずらしく80歳という長寿だっ

第19椀 道三湯(どうさんゆ)

初出:2015年11月10日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 戦国武将と味噌シリーズその6 「道三湯(どうさんゆ)」 *** 戦国武将は味噌の重要性をよく知っていたという「戦国武将と味噌」シリーズです。 以前に大久保彦左衛門の回で、戦場では刀で削った鰹節と味噌をお椀に入れて、熱湯を注いだだけの即席味噌汁がよく飲まれていた。そしてこのお味噌汁は、いまでも沖縄で飲まれている「かちゅーゆ(鰹湯)」と全く同じもの…という話を書きました。 私の

第27椀 秀吉の大坂城昆布味噌汁

初出:2016年6月10日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 戦国武将と味噌シリーズその7 「秀吉の大坂城昆布味噌汁」 郷土料理には、その土地の戦国武将のエピソードがからんでいるものが多いのですが、実はあとから面白おかしく作られた話や、無理やりこじつけたような話も多いんですね。そんな逸話が講釈師の手にかかりますと、さらに話が盛られまして嘘のような本当のような、やっぱり嘘のような話が生まれた背景になっているようです。今回はそんな話をひとつ講談調

第29椀 氏政の汁かけ飯

初出:2016年8月8日 <お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから 戦国武将と味噌シリーズその8 「氏政の汁かけ飯」 「戦国武将と味噌」シリーズ。今回は「汁かけ飯」が好きだったという北条氏政のお話です。 氏政と汁かけ飯にまつわる有名な逸話が、氏政がご飯に汁をかけながら食べている時、一回目でかけた量では足らなかったので、汁を二度かけているところを父氏康が見て、「毎日食べているのに一回で必要な汁も量れないとは。このようなものに国や家臣のことを推し量るこ