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あの頃の自分(小学生編)

前回自己紹介をしたので今回からは自分が野球をしてきた小学生時代から大学生時代までを四つに分けて紹介していきたいと思います!

僕が少年野球チームに入ったのは小学4年生になる4月の春でした。
そもそも野球を始めたきっかけは、もともとアニメMajorを見ていて祖父と3歳ごろの頃からよく公園でキャッチボールをしていたからです。アニメMajorでは主人公の本田吾郎が野球をやるのは4年生からという内容があり、それに合わせて僕も4年生から少年野球チームに入ったという形になります。笑
それともう一つきっかけがありました。
それは仲のいい友達が野球を始めると聞いて、僕自身負けたくないなと言う気持ちがどこからか芽生えていて同じ日に入団とはなりませんでしたが、少し遅れて少年野球チームに入りました。

ピッチャーとしての人生の始まり

野球を始めてからずーっとピッチャーというポジションをやりたく、日頃からシャドーピッチングをしたりといつでも投げれるような練習をしていました。試合前の練習でキャッチボールをしてる際、なにげなくピッチャーの意識をしてキャッチボールをしていたところ友達のお父さんであるコーチの方に「今日の試合でピッチャーやるか」と言われ僕もそのつもりで日々キャッチボールをしていたので迷わずに「はい!」と答えました。
ここから僕のピッチャーとしての人生が始まりました。

試合に出れなかった日々


結論から言ってしまうと少年野球時代僕は一度もレギュラーになったことはありません。
もちろん背番号1をつけてエースとして試合に出ることも他の守備でレギュラーにもなれませんでした。
年月が過ぎ5年生が終わる頃僕は2年間チームで野球をやって振り返った時に気づいたことがありました。
それはやっぱり幼稚園の頃からチームに入ってる子や僕よりも2、3年先に入っている子がレギュラーに定着しており遅く入ってきた僕や周りの子はレギュラーにはなれませんでした。
少年野球は楽しかった、少年野球はスター選手だったなど今でもいろんな方からお話をお聞きしますが、僕は少年野球を楽しいとか思ったことがありませんし、

試合に出れない=経験がない→ミスが多い

これでミスを恐れることもあり、6年生になる頃には試合に出たくないという気持ちでいっぱいでした。
言い訳にはなりますが、やはり入った順にレギュラーが決まっていると言う環境は自分は残酷だなと。。

それでも学校が終わったら控えの友達何人かで毎日練習をしていましたし、「父の考えたトレーニングメニュー」もあり小学生のうちは腐ったり不貞腐れたりなどはなくただただ野球が好きな少年であったことはたしかです!

今ではミスを多いですし結果が出なくてもなにか自分のためになる材料にはなるので、ミスや結果が出なくても反省して次こうして行こうなどやってみようという気持ちになることがほとんどです!笑

父の考えたトレーニングメニュー

上でも書いたように小学生でやるのか?と思うトレーニングメニューをこなしていました。ざっくり言うと
・タイヤ引き
・階段ダッシュ(タイム)
・腹筋(タイヤをお腹に落とす)
ということをしていました。笑

タイヤ引きはタイヤと作業用のベルトを紐で繋げた父お手製のものを使用して住宅街の中でタイムを測って、引いてました。笑
あとのメニューは見ての通りです。笑
たぶんあの近辺であそこまでしてたの僕と控えの友達だけだったと思います笑

最後に

少年野球チームに入って3年間僕は一度も公式戦に出れませんでしたが努力すること、野球が楽しいということと好きなことを知ることができました!
次回は中学生編です!
今までの人生でかなり濃い3年間を語りたいと思っています。
長文ではありましたが、読んでいただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします🤲

小井手和宏

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