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「太平洋戦争を『言葉』で戦った男たち」(映像の世紀バタフライエフェクト)を見て — 続き

 先の記事の「続き」のようなもの。

 ムックと池田先生と上間に特に注目しました。そこには、「高貴なスピリット」というものが感じられます。
 先の記事で紹介したようにムックはエール大学ロースクール出身で弁護士資格もすでに有していたスーパーエリートです。アイビーリーグ、中でもハーバードやエールやプリンストンは「良家のご子息」(当時は、女子学生もいないわけではありませんが、圧倒的に男子でした。)しか行けないスーパーエリート大学でした。そして、その多くの学生たちは国を超えた「高貴なスピリット」を持っていました。ムックもそんな「高貴なスピリット」を有するファミリーに育ったのだと思います。ムックも何とも包容力のある人なつっこい人への愛情をたたえた笑顔がとても印象的です。
 そして、当時国民学校教員だった若き池田先生は、テニアンスクール設立にあたり、ムックと真剣に議論したのだと思います。戦中の皇国史観に基づく国民学校の教育とムックがめざした、平和と平等を愛し、博愛を旨とする人間を育てる民主教育とは大きく違っていたので。
 さらに、そんなムック先生と池田先生の姿を見て、上間は勉強に励むだけでなく、かれらを尊敬とあこがれの眼差しで見ていたのだと思います。
 ここには、めぐり会った人から人への「高貴なスピリット」の継承があります。

  国や民族を超えた平和と平等と博愛の精神は、しばしば宗教において共有されます。(ただ、先の記事で集団と集団の利害について書いたように、宗教もしばしば集団間で摩擦や対立を引き起こしています。また、そもそものキリスト教の普及とキリスト教世界の拡大と歩調を合わせたヨーロッパにより新大陸への進出は「大きな問題」を内包しています。) わたし自身は特定の宗教の信者ではありませんが、大学生時代から「信者じゃなくても、高貴なスピリットを育み、持ち続けることができるはずだ」と考えていました。

 実は、ぼくは大学時代に「高貴なスピリット」に出会いました。マーク・リームズ先生です。リームズ先生との出会いは、今でも覚えている、先生と他何人かの先生でオムニバスで開講された「Global Citizens Seminar」です。このセミナーをきっかけとして、わたしを含めて約10人の学生はリームズ先生のリーダーシップで、毎月のように先生の研究室やお宅で勉強会を重ね、インドネシア研修に行くことになります。

 リームズ先生といっしょにインドネシアのサティアワチャナ大学学生との交流と村落開発プロジェクトに行ったのは、1975年のことです。関西学院大学(わたしの母校)とサティアワチャナ大学との交流プログラムは、関学の国際交流プログラム第1号として、現在も続いています。

 リームズ先生と実はその奥さまのルース・リームズも、本当に「高貴なスピリット」の人でした。マークもルースも(ファーストネームで呼ぶのがわたしたちのグループの習わしでした)クリスチャンで、かれらはエキュメニカル運動(当初はキリスト教の党派を超えた、エンパワーメントの活動。後には他の宗教も参加)にも参加していました。そんなことが、かれらの党派や宗教を超えた「高貴なスピリット」という姿勢を支えていたのかなあと思います。マークとルースは、食事のときにお祈りをすること以外、学生たちにクリスチャンになることを勧誘したことは一度もありません。自分たちの生きる姿をただわたしたちに見せてくれました。

 今のわたしがあるのは、家族を愛し縁のある人とは睦み合いながら日々「まじめに」働く両親と、この大学時代のマークとルースの生きる姿が基盤になっているように思います。

 「太平洋戦争を『言葉』で戦った男たち」のムックと池田先生と上間の姿を見て、そんなことを思い出しました。ひどくパーソナルな話になってしまいました。


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