令和6年初めに思うことー山崎元さんを偲んで

最初の記事を元旦の15時半前後にアップした直後に、能登の大地震がありました。輪島市や珠洲市は2年ほど前に、妻と二人で旅行に行ったところで、月並みな表現ですが、風光明媚・自然に溢れる本当に素晴らしいところでした。まさか、元旦の夕方に大地震が襲うとは、。珠洲市におられる妻の知り合いの方によれば、ご家族全員が無事ではあるものの、お家も市内全域も壊滅的で停電や通信遮断、食料や水不足で大変な状態であると。とりあえず我々としてできることを考え、石川県の義援金サイトに寄付をして、犠牲者・被災者の方々に祈りを捧げる事しかできません。

そして、これも前回の記事に書きましたが、闘病中で心配していた山崎元さんが元旦に亡くなられていた、と本日先ほどニュースで知りました。ご本人が書いておられた通り、結局余命が1ヶ月で尽きてしまった、という事です。

私はさる企業で彼と同期であり、同じ独身寮で寝食・通勤を共にしました。前にも書きましたが、ある意味頭脳明晰すぎて、当該企業の枠にはまらない人でした。ただ、彼の現役時代は、仕事の相談で助けてもらった事もあり、本当に尊敬に値する人でした。(そんな彼も、10年ほど前バッタリ会った際、私の当時のキャリアに興味を持ってくれて、お互い連絡取り合おう、と言ってくれたほどでした。)

惜しい人を亡くした、という表現は月並み過ぎて彼にはフィットしない気がします。病気・病状自体を含め、サンクコストだと整理・断言できる彼の強さ、冷静さがあったこそ、遺稿を含め数々の著作などの業績が、彼の亡くなった後も世の中の人々の記憶に残り、今後の社会に役立つ事でしょう。その意味でも、彼には最後まで叶わなかった、引き続き私の尊敬の対象です。

山崎元さん、どうぞ安らかにお休みください。あなたの冷静・明晰な生き様はお子さんやご家族だけでなく、我々みんなの心に今後も残っていくでしょう。

合掌

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