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炎上・炎上商法のしくみと心理

質問コメントをいただきました。

著名人の方によくある
「炎上を利用して名前を広める」人の心理について深堀してください!

炎上って、もちろん自分はしたくないですし、あまり見たいものでもないですよね。その感覚が普通なのではないかと僕は思うのですが、炎上を利用している、という人もいるらしいのです。

大体件数としては毎日どこかで炎上が起きていて、年1000件とも概算されています(これでも2017年のデータなので、今はもっと増えているだろう)。
時として炎上で職を失ったり
TwitterをはじめとしてSNSを利用していてnoteでも発信している者からして、これは他人事ではない気がします。

僕自身は炎上の専門家でも心理の専門家でも無いですが、自分の身の回りで炎上を起こさないためにも他山の石として、炎上について調べることにしました。

炎上の種類

早速考えてみたいと思うのですが、まず炎上には2種類ありそうです。
思わぬ炎上と意図的な炎上です。

例えば回転寿司屋でのイタズラ行為が撮られた動画で炎上した件などは、思わぬ炎上ですよね。炎上しても誰にもなんのメリットもないでしょう。
この種の炎上は内容の悪質さはさておき、その多くは、”本来明るみにはならなかったような仲間内でのヤンチャ”が、動画という形で流出することによって起こることが多い気がします。これは仲間内でのちょっとした出来心だったり、承認欲求のようなものが悪い形で広まった結果ですね。バイトテロと呼ばれるものもこれに入ると思います。
これらは、幼い子供が好きな子に振り向いて欲しくてちょっかいかけてしまうことに似たような、幼い考えの行為からくる炎上と思われます。

今回は意図的な炎上を狙うことについて考えてみたいと思います。
まずは炎上の仕組みを考えてみましょう。

炎上の仕組み

経済学者の山口真一先生によると、炎上は”「大衆による表現の規制」という新しい現象である”とも評されています。言い訳をしようものならさらなる批判が集まります。逃れる方法は沈黙するしかないんですよね。徹底的に発信者を批判の嵐にさらすような現象で、一度発生すると過剰になる一方ですよね。
どうして発信者が何も言えなくなるほど、丸め込まれるほどの批判や意見が殺到するのでしょうか。

炎上は、内容が反感を買うから起こるのでしょうか?…というと実は少し違います。
何か倫理的に反したような、突飛な内容を発言したとします。そうすると否定的な意見、批判、非難が集まるでしょう。しかしそれだけではあまり燃え広がらないのです。

炎上は一部から反感を買い、同時に一部では擁護される場合に起こりやすいとされます。つまり、賛否が必要なのです。
Twitterを例にして、例えば”環境問題の政策が発表された時に出てきそうなツイート”を考えてみます。
とあるユーザーA
「二酸化炭素なんて一回飛行機乗るだけで死ぬほど撒き散らすんだから個人でできることなんてないだろ!エコエコうるせー!」という意見がツイートされたとします。
言葉は強めですが、おそらくこれだけだと、誰も気に留めないでしょう。

それに対して、Bがつい煽るようなコメントします
「はい自己中の自己紹介おつ〜。環境考えたらあなたが邪魔〜」
するとそこに、ツイ主に賛同しているCが出てきてBに対してコメントします。「いやこれは本当。レジ袋一枚マイバッグに変えても無意味。」

そしてDが「飛行機は1回で何百人と乗れるし、結果的に全員それぞれ車使うよりエコでは?」
そしてEが「何かそんなデータあるんですか?」
そしてFが「国内線1フライトでCO2排出20トン。トンでもないね」
そして「もう誰も移動すんな」「論点がズレてますね」「政治家ほんと仕事しない」「これ何年前から論争してんの」「税金がー」
…みたいな関係ない話がどんどん出始めます。

もうこうなると連鎖反応が起きて、どんどんいろんな人の批判を巻き込みながら閲覧数が増えて拡散されていきます。
そして僕はこれが1番悪だと思っているのですが、大手のメディアやまとめブログがそのツイートを紹介します。「飛行機の出すCO2の量がトンデモないと話題」みたいな感じのタイトルでニュース記事にしてしまうんですね。あたかも本当に炎上しているかのように。それで一気に関係ない多くの人の目につくようになり、さらに批判コメントや擁護コメントが増えて、勝手にバトルが始まっていきます。これが炎上が起こるメカニズムです。

社会の倫理的に違和感をもたらす様なもの、そして少しの賛成意見が存在するような言動によって、批判と擁護の論争が巻き起こるのです。倫理的な少しの違和感というのも重要な要因で、これを叩くことによって自分の正義感を発揮したいと思うのが人間なのです。

炎上商法は効果があるのか?

炎上商法には短期的にはフォロワーの増加という効果がある場合もあると思います。
5割は興味がないあるいは無視するとして、4割の人が反対意見を持っている内容だったとして、あと、でも1割だけは興味本位で賛成コメントしてしまう、あるいは本当に肯定の意見を持っている人だとします。

炎上の定義自体がなかなか難しいですが、仮に10万人のユーザーを巻き込んだとしましょう。仮定した比率で考えると、5万人は無視して、4万人からは否定されますが、1万人は肯定的だということになります。その発信に対する1万人のフォロワーということになりますよね。まさに炎上によって数打てば当たるというわけです。

例え賛成が1%だったとしても、1000人もの人がフォロワーになるんです。
この大元のツイートをした人物が実は政権批判をして世論を操作したい人物のものだったらどうでしょうか。またはそれによってより過激な思想の記事や商品などに誘導すれば、ある程度の数の収益が発生するでしょう。

「発注ミスで大量に在庫が余っちゃった!」という発信がたまに話題になります。在庫を抱えて例えば賞味期限切れなどになってしまう食品を救うべく、みんなで買いに行く!というムーブが起こることがあります。でも中にはミスではなく、わざとそう言って炎上によって集客するパターンもあるのではないかと思います。炎上してそれを見た10万人のうち1%でも買いに来てくれれば1000人が集まるわけです。

また、ある意味で炎上は社会的に良い影響をもたらす側面もあると思います。
例えば、大企業や政治家といった強者の不正行為に対し、消費者や一般市民という弱者の声が通りやすくなりました。また、炎上によって今まで明らかになってこなかった問題が明るみになることもあります。
これまでもみ消されたり忘れ去られたり、無かったことにされてきたような思想や事件を力のない個人でも世に知らしめることができるわけです。

意図的に炎上させた人の気持ち

炎上について理解を深めたところで、炎上する側の気持ちを考えていきましょう。

意図的な炎上の思惑の中には、売名によって「賛同者を集めてお金につなげる」と言う目先の利益の獲得(マーケティング的な発想)に加えて「熱狂的に支持されることによる快感」の両方がありえる気がします。

気持ちの面での影響を考えてみましょう。
炎上には賛否が必要とお伝えしましたが、これが燃え広がることによって、より熱狂的な反対意見派と賛成派が現れます。
熱狂的な賛成派、支持者が現れる理由としては、感情の差があるからです。炎上するような内容の発信をする人が突然良い人の振る舞いをしたらどうでしょうか。うわ、こんないいところもある人なんだ!と急に評価を上げる傾向があります。
一方で地道に信頼を得て支持者を増やした人は、些細なことで信頼が崩れることがあります。いつもはいい人なのに、あーあこんな人だったのか、と大きな落差になるのです。

そうなると、短期的には炎上商法で一定数の支持者を集める方が効率が良いわけです。
より多くの人が反応すれば批判的な声も出るだろうと覚悟の上で、その中で一部の熱狂的な信者のような賛成派が味方につくようになると、発信した者にとってはとても満たされた気持ちになり得るでしょう。99人に嫌われても、1人に好かれればそれでいい、と思える人もいるでしょうから、その心境はわかります。

これはSNSなど誰でも使える発信媒体が一般的になり、かつコメントなどで賛否の反応をもらいやすくなった現代ならではの戦略だと思います。

長くは続かないであろう炎上のメリット

短期的には効果があるかもしれない炎上商法ですが、これまでの例を見ていると、その効果は長くは続かないのではないでしょうか。

例に挙げた、発注ミスを装う場合、何度も発注ミスを装うわけにはいきませんよね。認知度は多少上がるかもしれませんが1回きりなわけですし、それで継続的に利益が上がるかというと疑問ですね。むしろ狙った炎上が明るみになった場合はさらにそれが炎上して、長期的にはイメージダウンや場合によっては詐欺などの疑いで警察が動くかもしれないですよね。

炎上で集めた熱狂的な支持者は果たしてその人を長期的に支持するでしょうか?
その炎上した"発信"に対して賛同したのであって、その人自体に賛同したわけではないかもしれません。次第にその人の人となりが賛同できるのかどうかと言うところで再評価されていくでしょう。

何度も炎上を狙う人が支持されるでしょうか?その炎上に便乗しようと考えている別の炎上商法が周りに群がるのみとなり、次第に真の支持者は減る一方ではないかと僕は思います。

そもそも、例えばTwitterで炎上したツイートにコメントしたことがある人の割合は1%程度だと言うことが知られています(少し古い2016年のデータですが)。
その場合、最初から地道に信頼を得てフォロワーを集めた場合と雲泥の差がつくことになります。

そして炎上商法は、長期的にはその張本人にダメージを与えることになると考えられます。
例えば炎上に集まるアンチコメントを目にすることは確実に精神的なダメージとなるでしょう。集まるアンチコメントや自分でわざと引き起こした炎上を気にしないでいることはきっとできないでしょう。

現実問題として、人気Youtuberが突然配信休止を繰り返したり、更新頻度が下がったりすることがありますよね。これは一つの理由としてアンチに対応することに耐えられなくなった、と言うことを告白するケースもあります。
どんな人でも、手に負えないどうしようもないコメントがつくと、それが少数であっても気になり、頑張って育ててきたチャンネルを放棄するほどに精神的な負担になるでしょう。

そうなると、果たして人気とは一体なんなのでしょうか。文字通りひとけ、多くの人が集まるから人気なのでしょうか。それには支持と批判が入り乱れたような、心を掻き乱す場が必要なのでしょうか。
僕はそうは思いません。

フォロワーの数、いいねの数、再生された数、そういった数値だけが指標になると、どうしても人はゲームのようにそれを追い求めがちになります。おそらくRPGゲームでレベル上げを行うように注目を集めたくなる心理が働くのでしょう。僕もその気持ちはわかります。炎上してでも名を轟かせたい、あるいは儲かりたい思いを否定はしません。その人なりの、生きていくための割り切りでしょう。
それには自分の信念を持って、正しいと信じることを胸を張って行なっていただきたいと切に思います(これは自分に対しての声かけでもあります)。

あとがき

僕自身は何か煽ったり炎上を仕掛けたりするのは見るのも自分でやるのももちろん心地よくないので、それをやる側の視点に立って考えることは非常に学びが多かったです。
炎上商法をやる側の心理を突き詰めると言うよりかは、その発生の背景やどうすればそういったSNSの危うさのようなものが減らせるのか、と考えた上で今回のような内容になりました。

この炎上しかりSNSの"クソリプ"しかりですが、ダメ出し文化が根付いてきたことに僕は危機感を覚えています。ダメ出しって本当に良くない。言われた方の士気を下げるものでしかないと思っています。いわゆる「不寛容な社会」を形成する元凶ですよね。それも捉え方で、指摘してくれたことから学ぶこともできる、と考えることもできるとは思いますが、それは自分で前向きに考えるときの思考であって、他人に「指摘から学べ」とか言われ始めたらもう本当にめんどくさいですよね。

ダメ出ししたくなったら、せめて、いいところを褒めて伸ばすとか、指摘するにしても、良いところを伝えてちょっと気付いた点を伝えてまた良いところを言う、みたいなサンドイッチ論法が良い気がしています(笑)。僕は例えば後輩に何か指摘しなければならないときはなるべくそうしています。これだったら気分悪くないでしょうし、結果として伝わりやすいと思うのです。

いずれにしても、過剰な火のない平和を維持したいものです。


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