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【転載】難民申請者の就労禁止を憲法違反としたアイルランド最高裁判所判決(2017・5・30)

2017年6月24日に事務所のブログに掲載していたものですが、こちらにも転載しておきます。

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つい最近、アイルランド最高裁判所が上記判決を下した、ということをメーリングリストで知りました。

ニュースはこちら

原文はこちらです。

拙い訳ですが翻訳してみました。

アイルランドの法律では、難民申請者は手続中職探しすらできないとのことです。

日本でも仮放免や仮滞在中で、収容施設に入れられず外にいるときに就労禁止条件が付けられるのが一般的で、その点では同様です。

しかし、アイルランドでは、国が用意する居住施設に住むことができ、1週間に19ポンド手当が出ます。

日本では、住居も、生活費も自分で用意しなければなりません。

働くことができないということは生きる手段を奪うことという点では、アイルランドよりも日本の方が深刻な人権侵害をしているといえます。

PDFファイルはこちらからどうぞ。

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最高裁判所

デンハム裁判長
オドネル裁判官
クラーク裁判官
マクメナミン裁判官
ラフォイ裁判官
チャールトン裁判官
オマリー裁判官

最高裁判所事件番号 31&56/2016

当事者
原告・上告人 N.V.H
被告・被上告人 法務及び平等大臣
訴訟被告知人 司法長官、アイルランド人権平等委員会

 オドネル裁判官による2017年5月30日の判決宣告

1 1996年難民法9条は、庇護申請者の入国及び難民申請手続中の滞在が許されるとしている。けれども、9条(4)は、とりわけ、申請者は、彼もしくは彼女の認定申請に対する最終的な決定が出るまでは仕事を探したり職に就いたりすることができないとも定めている。難民申請の決定が出るまでの間、申請者は、「ダイレクト・プロヴィジョン」として知られる国が提供した住居施設に居住することを要求され、これに加えて1週間に19ポンドの手当が支給された。これらはこの事件で法的な問題となったことに関する中心的な条項である。
2 本件の原告は、ビルマ出身で、2008年7月16日に当国に到着し、翌日難民申請をした。彼の申請は一次段階で不認定となり、2009年に難民異議審判所に不服申立をし、2013年7月に一時不認定処分は司法審査の結果破棄された。その後、申請者について手続を再開することが認められ、新たに申請が行われた。その結果再度彼は不認定となり、2013年11月の難民不服審判所によってその結論は支持された。しかし、この決定は2014年2月に破棄され、これに従い手続は再開することを要求された。この時点で申請者はダイレクト・プロヴィジョンに6年間住み続けており、彼の申請が最終的結論が出るまで非常に深刻な遅滞をもたらされた。それでも、彼の申請が認められない場合に備え、彼は数年かかるであろうと予想された補完的保護の申請をすることとなった。
3 彼が当国に到着してから、申請者はモナガン郡のダイレクト・プロヴィジョンに住み続けていた。2013年5月、彼はダイレクト・プロヴィジョン施設内での仕事のオファーを受けた。彼は、9条(4)により仕事のオファーから妨げられたか、少なくとも妨げられたようであった。彼は法務大臣に、仕事のオファーに応じることができるよう許可を求めた。大臣は9条(4)によって、そのような仕事は認められていないことを理由に拒絶した。そこで原告は9条(4)による妨害に異議を唱え、また9条(4)が欧州連合憲章及びヨーロッパ人権条約、憲法に違反するとしてこれらの手続を開始した。彼の訴えは高等裁判所(マクデルモット裁判官)の慎重な判決により退けられた。申請者の窮状に対する同情は示されたものの、控訴裁判所の多数意見(ライアン裁判官、フィンレイ・ジオゲガン裁判官。ホーガン裁判官は反対意見)によりこの決定は支持された。ホーガン裁判官は、EU法及びヨーロッパ人権条約との関係では、原告の主張は認めなかったが、原告は、市民権はないが、憲法40.3条で明文にはないが保障されている労働権を根拠にすることができると述べた。ホーガン裁判かは、国がこの関連で非常に大きな裁量を有するとしても、9条(4)が含む労働の全面禁止は、国家のいかなる法的な利益に比べても均衡を失しており、そのため無効であると結論づけた。これらの手続が行われて以来、9条(4)を含む1996年法は、2015年国際保護法6条によって廃止されたが、この法律の第11章に規定されているいくつかの一時的な条項により、進行中の事件については1996年法が適用され続けることとなった。けれども2015年法の16条(3)(b)は、申請者が有償の仕事や任務を探したり就くことについて、いかなる場合も同様に禁止をした。そのため、本件原告に適用される厳密な制度は明確にする必要があるけれども、2015年法が施行されたことが、それ自体でこの手続を無効にするものでも無く、別の意味での議論は生じるが、更なるもしくは別個の分析を要求するものでもない。

予備的問題:訴えの利益
4 当裁判所は2016年4月27日に上訴許可をした。その決定からヒアリングまでの間に、上告人は難民認定され、被告国はこの上告は訴えの利益がない(原文:moot)であると主張している。
5 この手続は大臣が上告人に労働許可をしなかったことを争っているものであるから、この手続は実際、実質的には無意味である。司法審査の対象は、大臣が許可をしなかった決定を破棄し上告人が難民申請中の地位にあるにもかかわらず仕事をする機会を認めることであった。当裁判所でのヒアリングの日現在で、上告人は難民認定されており、既に庇護申請者ではなくなっていた。そのため彼は自由に働くことができた。したがって、もし大臣の決定を破棄したとしても何らの利益は得られないこととなった。それ以上に上告人はもはや9条(4)の条項が適用されず、その撤廃は彼に何ら実際上の利益をもたらさない。そのため、現実的な意味では、もし上告人の請求が認められたとしても彼が現在有するような全面的な労働許可を上告人にもたらすわけではないのであるから、上告人は現在より良い地位にあるといえる。
6 けれども、裁判所はこの上告を聞き入れ、決定の手続を取るべきであるという結論にいたった。まず、訴えは実質的には9条(4)が憲法に違反しているというものであり、その訴えは必ずしも無意味なものではない。憲法に反していると争っている法令の適用の影響を受ける人々は、もし法令がもはや彼らに適用がなくなったとしても訴えを続ける資格がある。彼らは彼らが争っている条項の適用によって影響を受けており、通常の場合にはその問題について決定をされる資格を有している。そして、もしその取扱が違法だと宣言され、必要な場合には条項は違憲だと宣告される。それ以上に、この裁判所が上訴許可を与えた後に、訴えの利益の有無に関する問題が生じた。この裁判所への上訴許可を認めたことは、ここで普遍的な法解釈の重要性があったことが確立したということである。したがって、9条(4)の条項の適用において最大級の疑問が存在しており、そしてそのことは(全ての事件において決定的なものではないとしても)、当該事件についてヒアリングと決定をし、ある方法もしくは他の方法で法的な問題を解決するためには重要な意味を持つ要素である。この事件はアイルランド人権平等委員会によって支援された明白なテストケースでもあり、そのため、再度同じような状況は起きるであろう。別の事件で法的システムを通じてその解決をするよりも、今、それをした方が望ましいのは確実である。生じた法律問題は、法律に関する事項であり、別事件の新たな事実関係の関連で起きるものではない。これらの総合的な理由で、私は本件につきヒアリングを行い、決定をすべきと考える。
7 関連する問題がある。被告の代理人は本件が起きた状況に関する事実関係は、非常に希なもので実に例外的なものであったと述べた。疑いなく、申請者が9条(4)によって仕事から除外された期間は、彼の難民申請に関する決定がされるまでの手続(及び再審査の手続)の遅滞の結果であった。それは例外的なものだった。全体のシステム(及び9条(4)の適用延長)を極端な事実関係をもって判断するのは誤りであった。彼女があげたほとんどの合理的な期間内に処理がされ、司法審査で2回決定が破棄されたのは異例だった。けれども、条項に異議を唱えるために裁判を受ける権利が認められるためには人は直接それによる影響を受ける必要があるというルールは、その当然の結果として、もし一個人がある条項で不利な影響を受け、そのためその条項に異議を唱える資格があり、そしてもしそれが正しければ、その条項が無効であると宣言できるという事実を含むものである。たとえ、状況が普通ではなく例外的であり、あるいは問題となっている法が全く十分且つ憲法に適合した状況で運用されているとしてもである。けれどもこれは裁判を受ける権利に関連して、幅広い問題を提起するものである。この問題は、ヒアリングにおいて焦点が当てられたものではなく、従って何ら証拠や主張の提出の問題でもなかった。そして仕事のオファーに関連する証拠は無かった。それは証明を要求されたほとんど形式的な証拠であったが、調査はされなかった。いかなる意味でも、私は上告人が9条(4)に異議を申し立てる資格を認めるために仕事のオファーがあったことを実際に示す必要はないと考える。上告人は、仕事を探すのに9条(4)による影響を受けていたことは明らかであり、そして9条(4)がそれを阻害し、明らかに妨げていたのであった。もし、それでも仕事のオファーが裁判を受ける権利を有するというために必要な証拠なのだとしたら、その立場を作るための状況を作ろうとすることが許されるかどうかの問題を指摘する必要があると考える。憲法訴訟が政策目標より本質的に優先されるルートだとされる他の国では、特定の性質や経験を有する個人が、求める法的な主張をすることが許される名目上の原告として行動することは完全に許されることであるとみなされている。この司法権のもとでは、理由が原理的なものであろうが実用主義的なものであろうが、同じ結論に到達するであろうが、それは考慮することが必要な問題かもしれない。けれども、それがここではいかなる場合にも生じないと判明した理由によるのであれば、私はこれ以上はその点を指摘する必要があるとは考えない。私は本件で労働のオファーに関して何らの問題は生じず、また、生じていなかったことを明らかにすべきである。
8 この問題は極めて念入りに議論がされ、以下の3件の認容判決が既に存在する。したがって、私は意図的に失礼を働いているわけではないことをご理解いただきたいが、憲法上の主張ではない点について合理的な範囲で短く取り扱うことも可能である。最初に、9条(4)は労働を絶対的に禁止しているものではないと主張されている。その主張によれば、9条(11)は9条(4)は「このセクションの条項によっては当国に入国もしくは残留する資格がない」申請者に対してのみ適用されるものだということを明らかにした。これは、庇護希望者は当国にいる間、異なった別個の許可を受ける可能性があるものと理解できる。もし9条(4)のもとで就労禁止が適用されなければ、国内に存在することは単に庇護申請にのみ依拠するものではないからである。より明らかなことは、国内への人の入国許可に関し、移民法4条はある意味で移民官に広範な裁量を認めており、従ってそのような人物がもし入国を認められた場合には、彼らの庇護申請及び9条(4)の条項とは無関係に仕事をすることが認められる。申請者は、アイルランドで生まれた子どもの親が当国に在留できる資格を認める「アイルランドにおける出生子スキーム」(Irish Born Child Scheme IBC/05)と呼ばれるものに準じることもできる。この法的根拠は2004年移民法の4条による裁量であり、大臣が裁量を謙抑的かつ例外的な状況において行使する場合には、入国許可をしたり残留を許すことは裁量の一部であったとされた。もしそうであれば、大臣は彼女が9条(4)によって絶対に妨害されると見なしたのは誤りであり、そのため、乏しい理由によって、政府の規定は破棄されるべきである。
9 私は、この主張を考慮し、許容できないと決定したそれらの裁判の理由に同意する。9条(11)は、適法にアイルランドに在住し、その場で彼ら自身の国における出来事のために難民となった者の状況を想定していた。そのような者は、難民申請をしたからといって労働する資格を失わない。同様にヨーロッパ法の適用により、その者にはアイルランドに残る資格が与えられ、もしそうであれば、そして9条(4)はそのような者の仕事を妨げるために適用されない。なぜなら当該条項は、彼らが当国にいたのは難民申請をしているということのみが根拠となっていたからである。けれども私は2004年移民法4条を利用して、このように9条(4)の適用を回避して、現在の状況において申請者が当国に残留し、仕事をすることを許可することには同意できない。アイルランドにおける出生子スキームは、当国に残りたいという適法な主張を創設していると理解されている状況で運用されており、難民申請者とは別で独立したものである。けれども、ここで、上告人は4条のもとでの許可を求めているだけであり、9条(4)の適用を回避するために、許可は得られるであろう。私の見解では、もし、それが1996年移民法9条(4)の文言及び明らかな趣旨に反して用いられるのであれば、それは、権力の不適切な行使であり、そのため移民法4条の適用射程外である。もし大臣が庇護システムにおいて規定された期間以上の滞在許可(及びそれに付随する労働の権利)についてスキームを確立することができ(そしてきっとすべきとされる)ことが支持されるのであれば、それは容認しがたいほどの行政の決定による法令の改正となるだろう。
10 そしてまた、私は、どのような固有の行政権も、ここで上告人にとっての助けにならないと考える。非市民による国家への入国及び国内にいる間に従事できる行動範囲の管理は、歴史的にみて、行政権の本質的な機能であった。もし法律がその範囲をコントロールしようとしているとしても、行政権が及ぶ程度の問題は、殆ど議論されていない興味深いものである。けれども法律の規則の後に行政裁量が残ったとしても、庇護申請者が難民のシステムにおいて働き口を探すべきではないと明確に定められている法律の条項を廃止したり修正したりする影響を及ぼすことはできない。これは結局1610年のプロクラメイションズ事件(the Case of Proclamations 1610 12 Co. Rep.74)以来ずっと明らかであり、同判決は王室の特権はいかなる法律を廃止したり無視したりすることまでには及ばないとした。そして、なおさらのこと、権力分立がされている憲法下の行政権についても、同様のことを言うことができる。結局、原々審のマクデルモット裁判官及び原審のホーガン裁判官両名が判決で指摘した理由により、私はヨーロッパ憲章もしくはヨーロッパ人権条約上、何ら問題は生じないことに同意する。したがって、憲法上の議論がなされることが必要である。これらの議論は重要かつ困難な憲法上の問題を生じさせる。非市民、そしてとりわけ当国に何ら他の繋がりがない庇護申請者がアイルランド憲法によって保障された何らかの権利に頼ることができるのか、そして、もしそうならば憲法上明文によらず保障されている労働権はどうなるのか?もしそうであれば、憲法で保障されている労働権の性質はどのようなものか。もし、非市民がそのような権利を訴えるのであれば、非市民及び特に何ら関係のない庇護申請者に与えられる権利の性質及び範囲は何なのか。もしくは当国に残留するよう訴えられるのか。
11 原審のホーガン裁判官が述べたように、アイルランド憲法の条項に非市民が依拠できるかどうかの問題は60年以上前に、重要な国(Nicolau)対アン・ボード・ウチタラ(1966 I. R.567)事件において取り上げられ、議論された。けれどもそこでは解決がされず、その後も未解決のままだった。その位置づけとしては、非市民はいくつかの権利に依拠することが許される一方で、投票のような市民性や国家への忠誠の概念に密接に関連することが明らかな他の権利については妨げらるということになった。けれども、何ら包括的な理論は進展もしなければ受け入れられもせず、判例法が場当たり的に進展してきた。憲法の文言における「市民」(citizen)もしくは「人」(person)という単語の用法につき首尾一貫したパターンを把握するのは困難なため、確かに問題は、単に憲法の文脈によっては解決できないものであった。けれども当裁判所において、この問題について、裁判所の命令によりこの問題について結論を発表したり、もしくは実際に同じ結果にたどり着いて沈黙し説明をしないことにすることが希であるということについて、私は同意しない。結果及びその理由は、明示的にも黙示的にも、憲法に言及して正当化されなくてはならない。けれどもこの問題について本件で詳細を述べることはせず、私は単に憲法40.1条に関してなされたノッティンガムシレ・カウンティ・カウンシル対KB(2013年 4 I. R. 662)事件で示された、この問題についての有益な洞察及びアプローチを繰り返しておくに留める。当面の目的のために、私は、「人として」(as human persons)という法の前における人々の平等を確保する責務は、非市民が憲法上の権利に依拠できることを意味すると捉えることとした。これらの権利及び問題は彼らの人としての地位に関連するものであるが、市民と非市民との間の相違に関する憲法40.1条のもとでは法律上相違が設けられるだろう。もしそのような相違が地位の相違によって正当化されるのであれば。まず、そのため、私は、庇護申請者を含む非市民は、憲法40.3条で保障されている、おそらくは労働の権利を含むそこに明示されていない人権を求めて訴える資格があると考える。もしそれ以外の方法で行うことが、そのような人を「人として」平等なものとして取り扱うことにはならないということが確立しているのであれば。けれども、以下のことを考慮する必要がある。第1にその権利が確かに市民に保障されているか。第2に保障の本質が人としての本質に関連するのか、そしてその点について法の前に平等とされる資格を有する一部もしくは全ての非市民に一致しなければならないのか。第3に、たとえそうだとしても、市民と合法的な居住者及び非市民、とりわけ庇護申請者との間で、憲法40.1条のもとで正当化できる区別なのか。最後に、もしそのような区別がされたとしても、その相違が9条(4)に含まれる庇護申請者の雇用の全面的な禁止も含むところまでに及ぶのか。

労働の権利
12 原審のホーガン裁判官が述べたように、憲法40.3条が、少なくとも労働の権利としてみなされているものを保障していると認識している、相当印象的な一連の判例が存在する。それは、ランダーズ対司法長官事件(109 I.L.T.R. 1,1975年)、マルタ・プロパティ対クリアリー事件(I.R. 330 1972年)、マーフィー対スチュアート事件(I.R. 97、1973年)及びカフォーラ対オマリー事件(1 I. R. 486)などの事件で確立した。けれども私は、もしその権利がそれほどきちんと確立していないとしても、私は、そのような権利は憲法40.3条で保護されており、いかなる場合においても、もしそれが強制力のある労働の権利としてきちんと説明されている、列挙されていない権利の1つであると改めて考えたいとするホーガン裁判官の見解に同意する。関連する判例法のほとんどは、もし明示されてていなくても列挙されていない権利は発見されるという時代にできたものであり、ほとんどは誰も否定できない命題に依拠している。けれども社会的・経済的な権利は、明文で明示的に保障される個人の権利への全く異なる秩序に属するものである。憲法の起草者がしかるべき説明と推敲そしておそらくは制限も無しに労働の権利を露骨な形で設けたとは確かに考え難い。これはメスケル対CIE事件(I.R. 121 1973年。それ自体は雇用の文脈で決定された事件である)以後より明確になってさえおり、この発展に論理的な正当性を加えるための多くの議論をしなかったのだが、憲法は個人間において平等に適用されることを示した。もし一般的かつ不特定の労働の権利が存在したのであれば、たとえ違反がないとしても、経済情勢が全ての雇用を提供できず、仕事を持った人が職を失ったとき、もしくはストライキのために仕事から締めだされた人がいるような場合に、それは、まず議論の余地なく関連があるだろう。私は、例えば、上告人代理人から提出されたいくつかの国際的な資料で示されているような、憲法が政府に全ての人に労働を保障することに向けての政策を追及する責務(おそらく裁判で強制力がある)を課すことは難しいと思う。私には、自由や、そして本件では、少なくとも実質的な正当性もなしに人が求職をすることを禁止させない消極的な責務を課す、仕事を探す自由のような、憲法で保障された利益を思い浮かべることの方が容易である。
13 例えばEUの基本的人権憲章においてどのように利益を保護することについて言及されているかは興味深い。例えば憲章の15条は自由のセクションに含まれ、「職業選択の自由及び仕事に従事する権利」と題されており、15条は以下のとおり定めている。
「1 全ての人は仕事に従事し、自由に職業を選択しもしくは同意する権利を有する。
 2 全てのEU市民は、EU域内の国で職業を探し、働き、営業の権利を実行し、サービスを提供することの自由を有する。」
 同様に、私たちは国連の社会権規約委員会による社会権規約の解釈として「働くことのできる権利」もしくは「不公正に労働を奪われない権利」としての権利についてされた注釈にも言及を受けた。それは疑いなくその権利がほとんど修辞学的な分野を超えていない理由である。人にとって、仕事を探すことを法によって妨げられることは希である。けれどもそれはここで正に生じている問題である。9条(4)は仕事を全面的に禁止している。庇護希望者は仕事を探すことすら禁じられている。この条項がもし市民に適用されたら、それを正当化することは、不可能ではないとしても困難である。そのため庇護希望者がその権利に依拠することができるかどうかを考察することが重要となった。これは、私の分析では、アイルランド市民に保障されている権利の性質を考慮することを含むことになる。上告人にいかなる保護をも否定するかどうかは、人として彼を平等に取り扱わないかどうかを考慮する必要があるからである。このことは、その権利が社会において本質的なものなのか、市民が生活をするために市民社会において欠くことのできないものなのかどうかを考慮する必要がある。投票は、そのような方法で関連する社会への帰属をしている場合に限定されている。そうでなければ、その権利は人としての本質に由来するものでそれを否定することは、憲法40.1が保障する彼らの人としての本質的な平等を否定することになる。

14 これは疑いなく難問である。国内における雇用に関する領域は、当国が、そしておそらくは全ての国家が市民と滞在を許可された住民及び非市民との間に非常に明確な区別を付けている領域である。原審のフィンレイ・ジオギガン裁判官が指摘したように、それは単に当国へのアクセスを管理するだけではなく、国内にいる非市民の活動を規制するための行政機能における中核をなす部分である。一般に非市民は、アイルランド市民が他の場所でビジネスをはじめたり仕事を探すことができる権利を要求するのとは異なり、職を探しに入国する権利を有しない。EU市民や、アイルランドが特に同意している他の国の市民とは明白に地位は異なり、国内及び国際法の両方で、基本的な地位は、何らかの国家間合意が無い限り、当国はその領域内に入ることを制限したり、さらには拒否することができ、領域内における活動を制限し、そして最も重要なこととして仕事に就くことを規制し、さらには禁止することができる。そのため、労働の権利は個人が属する経済や社会に非常に多く関連を有していると言うことができる。その限度において、憲法によって保障される労働の権利は、市民もしくはせいぜい当国との確立された何らかの関係を有する者のみに享受されるものであると言われるのである。

15 既に見てきたように、労働の権利に関する考えは非常にレトリックであり(大げさといえるものもある)、憲法40.3によって明文にはないが保障される権利の特質が欠如していて、分析すべき問題を加えているだけである。多くの労働は骨折り仕事であり、しばしば祝福よりは苦痛の対象とされ、それ以上にそれ自体が目的ではなく選んだ人生を送るために必要な経済的手段である。けれども、健全な懐疑主義的アプローチでこの問題を考えるに、労働は、憲法前文がこの憲法で促進しようとしている個人の尊厳と自由に関連していると認識しなければならない。アイルランド憲法の基本的人権に関する条項は、ヨーロッパ人権条約のそれよりも的確に、他の者との関係における個人の人格の発展を、外部の妨害なしに許容し、むしろ促進しようとしている(ボッタ対イタリア事件 26 E.H.R.R. 241 P.256 1998参照)。憲法は、人としての本質的な平等に基本をおき、まず生命、続いて個人の自由、そしてそれから派生する権利を保障している:思想・良心の自由、表現の自由、結社の自由、家族の権利及び財産を獲得、保持、他の者へ譲渡する権利である。

16 上告人は、国連社会権規約委員会が労働の権利、もしくは少なくとも労働を許されることは特に列挙され保障されたこれらの権利と緊密に関連するという見解の要約を次のとおり引用した。
「労働の権利は、他の人権を実現するために不可欠であり、人間の尊厳の不可分かつ固有の部分をなす。すべての個人は彼/彼女が尊厳を持って生きられるよう、働くことができる権利を有している。労働の権利は同時に、個人及び彼/彼女の家族の生存に寄与するとともに、労働が自由に選択され又は承諾されている限りにおいて、彼/彼女の成長およびコミュニティ内部で認められる一助となる。」(労働の権利に関する一般的意見18のパラグラフ1、2005年11月24日採択)
 この全ての局面において、その考えが憲法の背景と広く一致すると認識することを裏付ける必要は無い。
17 したがって、私は労働の権利は少なくとも労働の自由もしくは仕事を探す自由という意味において個人の人格の一部であり、したがって人としての個人が法の前では平等であることを要求する憲法40.1が、人格の一部をなす権利というこれらの局面を非市民から絶対的に留保しているとすることはできない。けれどもそうだとすれば、市民と非市民、特に庇護申請をしてまだ結論が出ていないというだけで当国との結びつきがあるだけの者はとの間の法的な区別があるということについての疑問が生じるであろう。私の見解では、明白に、市民とそのような非市民の申請者との間の違いは明確であり、かつ特に労働の分野における重大な区別は正当化されるであろう。その大部分は、原審のフィンレイ・ジオギガン裁判官が判決において議論した当国の経済に対する労働市場に関連する理由のとおりである。したがって、当裁判所は、そのような相違の射程範囲が本件のように法律で設けられた区別にまで適用できるかという、別個の困難な問題に直面しなくてはならない。この仕事はまた、より複雑である。なぜならば当国の労働市場と当国への入国管理は政府の他の部署に委ねられる問題であり、裁判所は合理的な許容範囲を立法、そして(適切な場所の)行政の判断に示さなくてはならないからである。

18 市民と庇護申請をしている非市民との間の区別を正当化するために法律上考慮すべきことは、特に労働を制限する政策を認めることにおいて多数存在する。第一に、当国は庇護申請が認められる申請者は少数派であることを考慮に入れることができることである。政府はもし労働のキャパシティがあれば、それは潜在的な申請者にとって強力な「誘引要素」を創出することになると主張する。申請者が仕事を探すことができるまでの期間が限定された期間が認められた過去の機会において、庇護申請の顕著な急増が見られた。このことは確かに政府および議会(Oireachtas)が望むようなタイプの判断であり、裁判所が、比例原則に言及しながら、ゆっくりと後にとやかく述べるべき判断である。庇護申請者には国内にいるための限られた基盤しかないところ、そのままの状態を維持することを求めることもまた法律で定められており、そのため、もし申請が拒絶された場合には、何らの進展が認められず、そのことが難民と認められなかった申請者を当国から排除するのをより難しくしている。もし一定期間後に就労が許可されたとしても、それはいかなる仕事も許されることには繋がらない。経済的な範囲を定義づけて限定する立法をすることは可能であるし、おそらくそれは実証的なニーズが存在するであろう。

19 けれども、9(4)は単に権利を厳しく制限しているだけではない。それはすっかり奪い去っているのである。難民申請手続の審査期間に何ら限定がないのであれば、9条(4)は、申請者がどれだけ長期間の申請手続中であっても仕事の絶対的な禁止ということにつながる。もちろん、本件における難民申請の決定に至るまでのシステムのためにどれだけの時間を費やすことが合理的だったのかということを決するのが困難であることは確かである。難民審査に要する時間に法律上もしくは運用上の制限が存在したのであれば、9条(4)自体の文言においてその期間に制限がないのだとしても、それは許容されただろう。けれども、庇護申請の審査期間にそのような制限は存在しない。そのことが9条(4)が評価されるべき背景となったに違いない。私は、もしある権利が生来のものである場合には、市民および非市民、特に市民と庇護申請者との間においては、庇護申請者から常にその権利を奪うような適切且つ許容されるべき相違があるという意見には同意できない。

20 本件の上告人の難民申請手続は8年以上もかかった。そして、その間職探しができなかった。私の到達した見解では、ポイントは、庇護希望者と市民との間の法律上の相違は庇護申請者を労働の可能性から排除することを正当化しているということであることである。個人の自分自身の価値および自分らしさへの損害は、正に、それを守ろうとする憲法上の人権に対する損害でもある。抑うつ、フラストレーションおよび自身の喪失を示す宣誓供述書がそのことを裏付けている。

21 したがって、私は、庇護申請手続に時間的制限の存在しない状況下においては、全面的に職を探すことを禁止する9条(4)(および改正によりこれを承継した2015年法16(3)(b))は職を求める憲法上の権利に原則として反すると考える。けれども、このこの状況は多くの法令が交錯したことによって生じたものであり、いくつかの修正がなされるであろう。そして、それは立法府および行政府の最優先判断事項であることから、私は裁判所が命令をするまでの6か月の熟慮期間を設け、その時点での状況に照らして、どのような命令をすべきか意見を聴くために双方を呼び出すものとする。
(翻訳 2017/6/23 弁護士 児玉晃一)
(参考)
アイルランド憲法*

40.1
FUNDAMENTAL RIGHTS
PERSONAL RIGHTS
ARTICLE 40
1 All citizens shall, as human persons, be held equal before the law.
This shall not be held to mean that the State shall not in its enactments have due regard to differences of capacity, physical and moral, and of social function.

3 1° The State guarantees in its laws to respect, and, as far as practicable, by its laws to defend and vindicate the personal rights of the citizen.
2° The State shall, in particular, by its laws protect as best it may from unjust attack and, in the case of injustice done, vindicate the life, person, good name, and property rights of every citizen.
3° The State acknowledges the right to life of theunborn and, with due regard to the equal right to life of the mother, guarantees in its laws to respect, and, as far as practicable, by its laws to defend and vindicate that right. This subsection shall not limit freedom to travel between the State and another state.
This subsection shall not limit freedom to obtain or make available, in the State, subject to such conditions as may be laid down by law, information relating to services lawfully available in another state.

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