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旅03-ロシア周りの地政学eye w/モスクワ写真

モスクワのネタが弱い。シベリア鉄道後半ネタの後では弱すぎ。ただ、クレムリン回りは凄かったので写真は載せよう。じゃあ、ロシア周りと、僕が感じた文化の違いをまとめちゃうかという感じです。地政学とはいっても”政”への言及はほぼしませんので。(モスクワ写真はずっと下までスクロールで)。文章は記事冒頭の写真を見ならがら読んでもらうとうれしいです。

明るい青で書いたのが主な都市、国名は濃い青です。青斜線で縁取ったところは塩湖です。ただし、この白地図は古くアラル海(3つ中最右の丸いの)は、
もうありません。干上がっちゃって。塩湖は流入だけだから塩分濃度が高で、雨量が減ればこうなるんですね。

ヤクーツクを除いて、ウラジオストックからモスクワまでの街をつないだラインがおおよそのシベリア鉄道ラインです。国土の南端を通ることが分かります。寒いからね。(前々記事でヤクーツクが特殊と書いた理由がこれです。)そして、州の大きさを見るとウラル山脈西が急に小さくなる。つまり、こっちにたくさん人が住んでいて行政区が形成されているのです。シベリア鉄道に乗っていると、最初は2日で1時間の時差を修正するのですが、後半は1日2階も時計の針を戻します。結局、時間帯ってのは自然が生むものなのに結局は人間の都合です。

ロシアの南側にある国々を見てみると、長い国境を持つ国が2か国、モンゴルとカザフスタンです。ビジネス的・文化的つながりが強い2か国です。
彼らはロシア語がうまく、何度か助けてもらいました。モンゴルとはウラン・ウデ(ロシア) - ウランバートルのライン、カザフスタンとはオムスク(ロシア) ー アスタナのラインでの往来が主です。この2駅では多くのモンゴル人とカザフ人が下りていきます。町も、それぞれモンゴルとカザフの雰囲気をまとっていました。

面白いと思うのが中国との距離感。中国と接するあたりにはそれほど大きな街がなく、ハバロフスクとウラジオストック間のあたりで国境紛争がある、実はライバル関係が強いようです。共通の敵(対欧米)を持っていて、敵の敵は友って僕は捉えています。ちなみに…、世界一長い鉄道はシベリア鉄道ですが、ウラジオストック ー モスクワが最長ではなく、実は北京 ー ウランバートル ー モスクワです。

2008年時点ではバルト3国にそれほど興味がなく、僕は寒いところが大嫌いなので早く中央へ抜けて南下したい…。僕が選択したのはモスクワから中欧へはベラルーシを抜ける経路でした。(※ベラルーシは泊まらないのに日本でビザ(5,000円)をとりました。) ルート的にチェコのプラハ行きに乗ったのですが、ベラルーシとポーランドの国境では電気系統と車輪周りを交換することに。乗客を降ろさずにクレーンで持ち上げて交換するのがオドロオドロしくて。やはり、ロシア - ベラルーシではなく、ベラルーシ ー ポーランドの壁のほうが高いようです。ロシア人は『ルーシ人』の系譜で、ベラルーシは『白ロシア』です。

ちなみに、サンクトペテルブルクがロシアイチ美しいとされている街です。ここは何度か都市名が変わってます。旧『レニングラード』です。その前もサンクトペテルブルクだったらしいです。今考えると行ってみたかったなあ、バルト三国も。

コーカサス(カフカス/ジョージア・アルメニア・アゼルバイジャン)に関してもたくさん書けることあるのですが、こちらはまたいつか。(平和裏に文章書ける気がしません…) コーカサスへ行ったのは、この後に中欧・トルコ・南欧/北アフリカ・中南米(1年)・アフリカ(1年)・中東・トルコと来てその後です。旅中に書いたのはくるっと回ってトルコまでで、資料が少ないので、
コーカサスから日本までをnoteにあげるかは現時点では決めていませんが。

長くなっちゃいましたが、次の記事に繋がるところだけ。ポーランドとロシアの共通点といえば、ケフィール・合気道・ウォッカ。ケフィールは日本では『ヨーグルトきのこ』ってやつです。合気道もあちらこちらで看板を見かけました。ポーランド製のウォッカは中央アジアにも広く出回っています。
でも両国ともビール第一になっていました。ここらはかなり僕の主観が入ってますが、お許しを。

次回はチェコのお話になります。
まずはビール中心に書きますので、もちろん各国ビール事情も含みます。
お楽しみに。

モスクワの写真もどうぞ~


噂のロシア地下鉄 深すぎてホームが見えない。

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