PTAとの遭遇 その2

そんなきっかけで(妻に売られて)私のPTA人生が始まった。私がその後10年間もPTAに関わるとは、私も妻も思っていなかったが。

最初の会合の雰囲気は、忘れられない。PTA役員になってしまった人たち(≒大半が、くじ引きの敗者)の集まりなので、暗く重苦しい雰囲気だった。経験者の方々が、心配しなくても大丈夫ですよーーー!的な発言をしても虚しいだけであった。出席者は、やはりほぼ女性で、多分男性は当時のPTA会長と私の2人だけだったと思う。こんな雰囲気の中でどんな顔をしていれば良いか悩んだが、雰囲気を和らげるためできるだけ笑っていようと思った記憶はある。

PTAは、様々な委員会で構成され活動していた。広報誌の作成、ベルマーク収集、子どもたちの登校を見守るための旗振り、学校イベント(運動会など)のお手伝い、PTAイベント(バザー、PTA会員向けの研修会、親睦を図るためのイベントなど)の企画運営、近隣校PTAとの情報交換会などなど、それはそれは多岐にわたっており、こりゃ大変だーと思った。仕事同様にマネージメントがしっかりしていないと破綻すんじゃね!と思ったし、その通りだった。

これだけの労力をかけるPTAとはそもそもなんだろか?、google先生は知っている、Parent-Teacher Association、保護者と先生が子どもたちの健全育成、安心安全のために一緒になって活動する組織という感じでしょうか。故に、広報活動を通して保護者や地域の方々の中に賛同者や仲間を増やし、研修会などを通して我々も子どもたちの置かれた環境などについて理解を深め、バザーの収益やベルマークを活用して子どもたちが過ごす学校の環境をより良くし、といった事をしているのだなと理解した。そして、何よりもこういった活動を通して同じ地域に住む我々大人がしっかりと繋がっていることが、子どもたちの健全育成や安心安全のために重要なんだなーと確信した。そういう意味では、PTAって長い歴史があるだけによくできた仕組みだなーと思ったりもした。ただ、この時点ではまだ各学校のPTAが、実は公益社団法人日本PTA全国協議会という巨大な組織を構成する末端の1団体だとは全く気が付いていなかったが。。。

話を少し戻す。
初めての会合で場を仕切っていたのは女性だった。彼女は、「ははだい」と呼ばれていた。何だ「ははだい」って!?

まだ続く