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#54 鬱屈と幸福

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明けましておめでとう御座います。
2021年、本当にありがとうございました。

ささっと振り返る。
2021年1月、今年は「基盤を確定する」と掲げていました。

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※ 7月:福岡警固_ギャラリールーモ:「うきよ展」

2021年、三つの目標

1_九州全土でオフラインの規模で、繋がりをつくる
  全国との接続できるオンラインの場所をつくる

→ 80%完了
2月大分、7月福岡、10月宮崎で展示を行い、これからも大切にしたい場所ができました。そして、2/24にECサイトを発表しました。
2_好きなものを生み出し続けて
  溢れる作品を手渡していくための環境を整える

→ 60%完了
sanakaの形は、tsuzura(タペストリー)・teiji(バッグ) ・hiyura(ワンピース)の3つから、hiyura(セットアップ)・tamaki(羽織)・neyu(キャミベスト)を加え、6つになりました。

着物を管理する場所をつくりましたが、宮崎で1000枚の着物を寄贈して頂き、キャパシティを超えてしまいました。

一年を通して、着物を入荷してからsanakaの形になるまでの流れが構築されてきました。でも現状の環境で最大限やれてるかと問われるとまだまだ。もっとよくなる筈だと思う。
3_モノやコトを介した社会活動の参加
  遠くの言葉を用いたコミュニケーション

→ 70%完了
オンラインにシフトしていた高校生との対話の場が、リアル開催できて本当によかった。ワークショップ(染め体験)を軸とした場からsanaka(服の展示)に舵を切った年でもありました。

インスタグラムのフォロワーが200名(2月時点)から1486名まで増えて、ブルックリンやテキサスから注文があり、遠くの国にsanakaの形があると思うと尊く感じています。

これまでとちがう
あたらしいヒト・モノ・コトの基盤を構築してきました。

計画的と云うより〝目の前のことに追われながら、現時点での最適解を出し続けながら、ほんの少しづつ慣れていった〟それだけのような感覚。

(福岡の展示は「いとをかし展」(5月時点)が終わって〝全く自分たちを知らない人の場所で評価を受けたい〟と云う気持ちから生まれ、すぐに会場を探しはじめました。)

とはいえ、1月時点でみえてた未来に向かって実際に動かしていくと発見が多い。さまざまな方々からの視点から反応を得て、大きな成果になっていきました。全体を通して、概ね良い方向に進んでいってる感覚はあります。

● 2021年、展示
2月:大分佐伯_coffee5:「ひかり写真館と合同展」
3月:南さつま_武家屋敷鮫島邸:「新古今展」
5月:鹿児島市_レトロフトmuseo:「いとをかし展」
7月:福岡警固_ギャラリールーモ:「うきよ展」
10月:宮崎市_はなうた活版堂:「えそらごと展」

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● 月市 @レトロフトmuseo
11月:「はじめまして」
一郶/大きな学校の小さなsci園/廻巡飯店/SUMIRE STORE/penpluspen/WAGO Creation/sanaka

12月:「えんぎもの」
一郶/廻巡飯店/SUMIRE store/penpluspen/dacco/Takae Taphy Yamaguchi/小田島工房/大きな学校の小さなsci園/WAGO Creation
/sanaka

11月からは、月市がスタートしました。
この企画は「sanakaの形は、何処でみれますか?」と云う声が聞こえ始めて、それはうれしいのですが、
sanakaの形は代弁者の説明が必要なので、何処かのお店に置いて頂くことはまだまだ早いと分かったのが起点。

展示の頻度を上げてしまっても価値が風化するのもこわい。もっと気軽に触れてもらう感覚でみてもらう機会を毎月二日間だけつくりたくて、九州を巡りながら出会った作家さんたちとの縁を大切にしたくて、始まった月市。

「市場」と云いながら作品を預かって展示をする、ほぼグループ展。
とにかく芸術とかどうだっていいから見て欲しい。触れて欲しいだけ。

また改めて。

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2022年、まだまだ黎明期

「なんで、やってるんだろう?」って我に還ることがある。
そして、やってる人をみて「その根幹のエネルギー源はなんだろう?」って観察することもある。

ぼくの真ん中に在るポッカリと欠けた穴で、沸き立つ鬱屈。足りない部分をどうしても埋めたくなってしまうことがぼくの動力源だと最近分かった。

百年は着れるであろう新品の着物が破棄されてしまっている衣服に対する社会への疑問がずっと埋まらないから、sanakaで答えを出したい。政治に関心があるのもぼくのような弱者が対等になりにくい社会構造への疑問があるからだと思う。そのような経験が無ければ穴も開かないし、鬱屈することも少ない。

ぼくは〝足りない〟が鬱屈を生み、アイデアに変換して、イメージを再現する。この世に〝足りない〟がなくなることはないと思わされてしまう絶望さが現代に感じている。

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2022年、三つの目標

1_経済活動としてのsanaka
2_社会運動としてのsanaka
3_未来投資としてのsanaka

前回と同様に、此処で三つの目標を掲げておきます。

1_経済活動としてのsanaka
とにかく順番が大切です。
「お金が欲しいから売る」と「売れたからお金になった」では全然違う。売ることが目的になったとき、モノは腐ると考えています。(家電が堅牢性にこだわるのではなく、壊れることを計算に入れて消費行動を促しているのは腐ってると何度考えても思ってしまうから)

「生きていくために必要だから」「社員を守らなくてはいけない」と云う大人の言い訳を何度も聞いてきましたし、それも一理あるでしょう。そこと向き合う気も争う気もまったくありません。純粋に順番と大切なことを誤らなければ、良い結果になっていくと信じきっています。
2_社会運動としてのsanaka
ブランドを〝島をつくること〟だと考えています。その島独自のルールがあるからこそ面白い。ぼくらはsanakaと云う活動をしながら、独自性を磨きますが、ルールを拡大していくのはつまらない。支配したい訳じゃない。でもこのままでは、破棄される現状は変わりません。

服について考える対話の場をつくって、それぞれの意識を問い直す機会を設けます。これは全く経済活動に反するので、よりsanakaをやらなきゃ!となりそうな所をぐっとセーブするのが大切です。笑
3_未来投資としてのsanaka
十年後、空き家問題は悪化し、箪笥の中で眠った着物たちは、どんどんなくなっているかもしれません。着物が否応なしに生活にあった世代と着物が好きで生活にしている世代とが交じっている現代からひと世代いなくなるように思います。それがぼくはちょっとこわい。

そのような状況の緩和と分散のためにも九州全体をコミュニティーとして捉えて、共感してもらえる方々と共に文化の残し方を考えていきたい。

「着物は完璧な衣服だが、胡座をかきすぎた」と展示に来た方が言っておられました。〝着る〟ハードルの高さ、業者に洗濯を頼めば約1万円してしまい維持管理のしづらさ、このまま着物にこだわっていたら、反物を織る人がいなくなってしまう。

だからsanakaは、着物を愛する方とも争う気はまったくありません。コンセプトの「shape for fabric succession」は、布を継承するための形をつくると云う意味です。いつかは機屋さんと一緒にいい服をつくって、技術者の方と次の世代に残る服にしていきたいです。


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● 2022年、展示の予定
1月:南さつま_武家屋敷鮫島邸:「雅」
2月:伊佐市:「未定」
3月:大分佐伯_coffee5:「ひかり写真館と合同展」
    鹿屋:_リバレーションコーヒー:「未定」
4月:鹿児島市_レトロフトmuseo:「未定」
5月:福岡警固_ギャラリールーモ:「未定」
6月:大分日田_鹿鳴庵:「ひかり写真館と合同展」
10月:宮崎市_はなうた活版堂:「未定」

幸せ

正直、いまsanakaの活動ができてて、すきな人たちが使ってくれてる姿がみれてて、幸せ過ぎて。現状維持で良いなとさえ感じてしまいます。

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ぼくはまだまだ成長していたいから、自分の中に在る〝足りない〟ではなく、社会の〝足りない〟に照準を合わせて、そこがほんの少し埋まって幸せを感じて。その繰り返しを続けて死を迎えれられていたら、一番幸せです。

2022年も、何卒宜しくお願い致します。

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sanaka/佐藤孝洋









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