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#47 「期待しない」

とあるチームで共に仕事をしている一人の仲間に向けて、言葉にしたいと思った。それは多くの人にも言えることだから、出来事そのものは希釈して、本質的な部分をことばに置き換えておきたい。

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◯ 失敗をする人/失敗をしたと決める人

とっても簡単にいうと、その仲間は失敗が多い。
特に判断が早い。それは良いことばかりではなく、早合点で進めてしまうと失敗は起こり易い現象。つまりは、はやとちり。

人はとってもやさしい。ちゃんとしたいという姿勢が感じられるから、みんなに愛されている。もちろんぼくもかわいいなとみている。

でも、チーム内で済むこともチームの外まで影響を与えてしまうと困りごとになってしまって、本人も責任感から余計に空回りしてしまう。

みんなもその頃を経て大人になっているはずだが、酷い扱いや言葉遣いをする忘れてしまっている人がいる。

失敗を繰り返してしまう悪循環を終わらせたい方、チーム内に失敗を繰り返す人がいる方に向けて書きたい。

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◯ 事実と評価

大前提として、「全ての人が大いなる可能性を秘めている」。
ただそれが不具合を起こしているのだとも思う。

まず基本的に事実と評価を分けることからはじめたいと思う。

例えば「500mlの水筒がある」という事実に対して、1Lの水を入れることはしないし、なんで入らないんだ!と感情的にはならない。

また、「100mを走れる」という事実に対して、すぐに早かったか遅かったかをくっ付けて求めてしまうのが、人だ。

「確認ミスをした」という事実に対して、自分はだめな人間だという評価はしなくていい。事実を受け入れ、修正に努める。そして、失敗に気付いてくれた仲間たちや後処理をしてくれた人への感謝は忘れないようにしたい。自戒を込めて。

「今現状はできていない」という事実を感情なしに受け入れ、これからの可能性を広げていくのがほぼ答えと言ってもいい。

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もし仕事で失敗をして、評価を下げられてしまうと「本当はちゃんとできる自分を知ってほしい」「評価を取り戻したい」という姿勢になるのも、人だ。

それは、悪循環を起こす可能性は高まることの方が多い。加えて、なんて自分はできない人なんだと自分自身でレッテルを貼ってしまう人さえいる。

そして同時に周囲も、失敗を繰り返した人がいれば「失敗が多い人なんだ」と一時的に認識し、注意深くなるものだ。更にその雰囲気を向けられた本人にとっては耐え難いものもある。

そんな意識し合った状態では、ますます正確さは失なわれていく。

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ある意味、成功や失敗は誰かが勝手に決めるもの。
何かの基準が存在し、その目に見えないルールの元で判断されている。
それは会社かも、上司かも、社会的なことかもしれない。

反対に自分の中に基準を設けて、成功や失敗を決めている人もいるかもしれない。その方が精神的なダメージは少ないけれど、自分の基準を持ち過ぎるのも誰かとの共生は難しくなっていく。

基本的には、その仕組みや基準を理解すること。
会社としての方針なのか、上司が決めた方針なのか、なんとなくそんな雰囲気になっているのか。コミュニケーションから知っていく必要がある。

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ぼくは、こうする。
1:「基準がある」という事実を知る
2:「評価を向けない」という姿勢をとる
3:「アドバイスをしない」という姿勢をとる

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1:「基準がある」という事実を知る

最初のレクチャーで受けた情報を間に受けない。
はじめはそれしかすがるものがないけれど、他の人がちがう基準を持っている場合がある。それは多種多様な正義感の元、行動が変わってくるのが人だから。

事実を受け取り、他の可能性がある余白をあけておく。
入ってきた情報を再度整理して、基準を揃えていく。

人の社会とは、極めて曖昧なものだ。

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2:「評価を向けない」という姿勢

500mlの水筒とちがって、可能性を秘めている分くるしさがある。ただし、徐々に人は変化する生き物だから事実は容易に変わることを忘れがちになる。

自分自身の理解を深めて「これが得意で、苦手な部分がある」と知り、原因はおそらく過去の出来事が紐付いているに違いないと頭で分かっていたとしても、シナプスの判断の方が早いからか何かは知らないが、どうしたって似た判断を繰り返してしまうのも、人だ。

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タイトルを裏切ってしまうように思えるが、実際は基本的に人に期待をしている。ただし長期的で、あなたがあなた自身をあきらめない限りという条件がくっ付いてくる。

その姿は、一見「期待していない」ようにみえる。
近い仲間だからこそちょうど良い距離感でいないと周囲がなんでもかんでもしてしまえば、本人のできるはずなことも奪ってしまう。

手すりのついた階段のように、無口に、必要な人が使って、不要な人には風景であれば良いと思う。それが評価をしない姿勢と思っている。

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3:「アドバイスをしない」という姿勢

仕事で失敗が続いていたとしても、あなた自身がうまくやりたいって気持ちさえ持っていたら、十分と思う。

周囲の「アドバイス」は曲者です。
するときは、すごく気を配って下さい。

〝手段や方法〟で話が進んでしまうと、受け手(失敗をしたと認識された人)が多方面からやってきた情報をうまく受け取れません。ちゃんとしたいという気持ちがあればあるほど「あの人はこう言ってた。でも今こう言われた。でもあの人がいないから、とりあえずこうやっておこう」と複雑になっていく。

つまり失敗は、
周囲の人も要因になり得るということです。

事実は、事実だけを。
評価は、できるようになった所をことばで渡してほしいのです。

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最後の最後にちょっと汚いことばを使いますが、「長い目でみることもできないのに、上とか下とか、長いとか短いとか事実だけの関係で、一方的なアドバイスをすんなよ。」

最後の語尾を変えるだけで、どんだけ印象が変わるか。
分かって欲しくて言いました。ごめんなさい。

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◯ 事実と解釈

以上、
1:「基準がある」という事実を知る
2:「評価を向けない」という姿勢をとる
3:「アドバイスをしない」という姿勢をとる

事実と評価を分ける理由を述べました。
結局のところ、コミュニケーションでの事実と解釈のちがいでの齟齬ばかりあるのが世の中です。好き勝手な解釈は恐るるに足らず、ちゃんとみてくれている人はいます。

みんなにとってやさしい世界となれば、それが好循環を生むのにいいし、人知れず、長期的な期待を向け続けることこそがあいの輪郭だと感じています。所謂、ハートの形ではないのは、確かなことです。

「期待してる」という意味が「できるようになるまで、その時(期)を待っている」だったらいいなあ。みなさんは、どう思いますか?

ありがとうございました。

佐藤孝洋

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