きっかけの日

ざっくりと店主の生い立ち

群馬県高崎市生まれ。
シャッターメーカーを経営する家庭の次男として生を享けました。
父の実家は真言宗別格本山のお寺です。
幼いころからお寺という場所に親しみを感じて育ちました。
この頃からすでに仏門に入ることを意識していたと思います。

受験を逃れて高野山へ

祖父のような僧侶になりたいと決めたのは、
確か中学2年生の進路指導の時でした。
「僕、高野山に行きます」と担任の先生に伝えたと思います。
その宣言通り、地元の県立高校での平凡な学生生活を経て高野山へ。
大学生活と並行し、得度・加行・灌頂を無事に済ませ、
卒業後は僧侶として群馬に凱旋・・・のはずでした。
しかし、4年生の春、突然方向転換し就活を始めることになるのです。
薄々気づいてはいたのです。ちょっと違うのではないかと。

内定をいただいたのはまさかの職種

急な就活の頼りは地元新聞社の情報誌のみ。
初任給の高い順に説明会に応募した記憶があります。
ラッキーなことに、最初に伺った会社から内定をいただけました。
採用職種はシステムエンジニア。密教学専攻ですけど。
でも何とかなるもんです。
入社時の不安はどこへやら、気が付けばD/Bエンジニアとして
順風満帆なサラリーマンライフを送っていました。
しかし、入社10年目を迎えた頃、少し迷いが生じました。
中学生の僕が僧侶になることを決めた原動力は何だったのか?
度々思い出すようになっていました。

転機は辞令とともにやってきた

そんなある日、転勤の内示がありました。
大きなシステム開発がひと段落し、次なる戦場へというタイミングです。
なぜか僕は咄嗟に決断をしてしまうんです。
「地元でやりたいことがあるから退職させていただきます」と。
そのやりたいこととは何か。
”地域の困りごとを解決し安心して集える場所を作りたい”
僧侶に憧れたのも、お寺に親しみを感じていたのも、
これが根っこにあったからなんだと気づかされました。

一枚のチラシが導いた先は

この決断をする少し前、実家で一枚のチラシを見つけていました。
そこには”研修生募集”とありました。
よく読むと保険代理店として独立開業を目指す方向けの
募集資料らしいことがわかりました。
直観で「これだ!」と思いました。
私が『まちの御用聞き』として働きだすことを決めた瞬間です。

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