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水は下に向かって流れる

こんにちは、今日は濱口竜介監督の最新作「悪は存在しない」を見てきました。

今週で地元の上映が終わるギリギリに駆け込んで観ました…本当は余裕を持ってみる予定でしたが実家に帰って断捨離したりルックバックを観るなどの予定が入りギリギリのスケジュールになってしまいました。
熱風で推薦されていた理由で観ましたが

大正解!

観てよかったです。(主役の男性陣の演技は除くが)「ドライブマイカー」より大好きな作品です。
濱口監督は原作付きよりもオリジナル脚本の方が向いているのではないでしょうか?

・暖かいだけどどこか冷たい

この映画はおそらく雪解けの時期のとある村が舞台となっています。主人公が一人娘と暮らす家は森の中にあり、道筋には撃たれて死んだ鹿の白骨死体が放置されているぐらい自然に近い場所です。
そんな森の中の美しさが最初の枯れ木を写すカットから始まります。
この美しさは写真家マイケル・ケンナが冬の弟子屈を撮影したモノクロ写真を思い出しました。
そして親子や村の人々の暖かさが随所に見られますが、どこか冷たいです。
それは石橋英子の音楽かも知れないし、東京からのよそ者に自分達の生活を乱されてしまうという緊張した雰囲気から出ていると感じました。
特に、児童館(村の会館)で子どもたちがだるまさんが転んだをしている場面で特にそう感じました。ミニマルミュージックが流れる中子どもたちが静止している姿は不気味でした。

・水は下に流れていく

この映画では東京の芸能プロダクションが主人公の住む村にグランピング施設を作ろうとしています。
その際、下水の浄化施設を施設の端っこに作ろうとしています。そこに下水を流せば主人公たちが使う湧き水を汚してしまいます。
説明会のセリフで「上から流れてくるものは下に溜まっていく」という言葉があります。
セリフは単に物理的に汚れた水が湧き水を汚すという意味だけではなく、上(東京の人)が下(田舎の人)の生活を脅かすというメッセージにも受け取れました。

・決して理解できなかった東京の人々と神格化された”花ちゃん”

東京の芸能プロダクションから主人公たちを説得しようとし、男とその部下の女性が村へやってきます。
車の中で男は「もうプロダクション辞めて、キャンプ場の管理人になろうかな」と言っています。最初は嫌な現実からの逃避でしたが、主人公の家で薪を割って本気になり、水を汲むことで男は(この村に馴染めるかも)と思っていました。
ですがそれは表面上のことでした。
それがラストの主人公の娘が行方不明になるシーンでわかります。
霧が立ち込める原っぱの中、銃に撃たれた鹿を見つめる”花ちゃん”東京から来た男は彼女に近づこうと走り出そうとしましたが主人公に止められ首を絞められました。
このシーンで東京の人(都会の人)は永遠に田舎の人を理解できないとわかりました。主人公はどんなに男がこの村に馴染もうとしても一生分からない、と知っていたのかも知れません。
東京から来た男と”花ちゃん”この二人が対比された美しいシーンでした。

最後のシーンで月夜と枯れ木を写しながら主人公の足音と嗚咽だけが響くシーンは言葉にできないぐらい美しかったです。

田舎の生活とそれを侵食する都会の人の理解できない溝と自然の美しさと人の残酷さを観ることができた良作でした。
構図も良かったですが、何よりも人物たちを包み込む”冷たい空気”が良かったです。
でも、主人公たち男性陣の演技が…棒読みに近くてアナアサや拓也さんの方が演技が上手いんじゃ…!?って素になってしまったのが残念ポイントでした。
でも映像的にオススメです。


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