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【未収録】直木三十五 僕のモツトー

 たとへば、後期印象派の運動とか、自然主義の運動とか、――もうそういふ情熱的な藝術上の運動は、恐らくは、単に藝術上の運動のみとしてならば、今日最早、吾々をしてその当時の吾々程に情熱的にならしめないであらう。
 そして、人間の情熱の赴く所は、科学的な文明と、社会運動と、そうして総ての享楽的設備に対してであらう。私には、それが人間の自然な道程であると、だんだん信じ方が固くなつてくる。
 だから、当然の結論として、若い人々が、一つの藝術それのみの世界に閉籠ってゐることは、新しき世界に一番いい方法ではない、といふ事になつてくる。即ち、生活を、実行を第一に、それから、その次に何かの藝術をと――。
 何うも僕には、起きる前と、眠る前と、藝術の時間はそれだけでなく、そうして、特別に、病気といふものがあつて、もう少し長くそれらの事に就て考へさせてくれるが――実際、病気もそういう風に利用する事が、来るべき時代の考へ方で無いだらうか? 何うも余りに藝術は考込みすぎてゐる。確かにもつと快活になつてもいい。

文藝春秋社 昭和二年四月一日発行『手帖』創刊号 より

※なるべく当時のままに収録しておりますが、一部読みやすさを優先し現在の漢字等にしているところがございます。ご了承くださいませ。

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