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『映画大好きポンポさん』は創作に夢みる全ての人への呪いであり、救いだ

すごい映画を観た。この作品は呪いであり、救いだ。(※ややネタバレあり)

僕は仕事はプログラミングをしていて、かろうじて創る側の人間だと思っているけど、創る喜びに満たされていることなんてほとんどない。何も作っていない頃に感じる虚無感から逃れたくて、創作をしていなかった頃の自分と訣別したくて必死に何かを作ろうとしているけれど、それでも虚無感から逃れることはできなかった。

銀行員アランは原作では登場していなかった人物である。それなりに満たされた人生を送ってきた彼は、創っていない側の人間だ。そんな彼に、創っているはずである自分が何故か強く共感していた。それは、結局のところ、作っていても、作っていなくても、僕たちは果てのない虚無感から逃れることはできないからだと思う。創ることへの憧れは、いつしか一生解けることのない呪いへと変わってしまった。だからこそ、僕たち観客はアランに強い共感を覚える。この呪いは、創ることだけをしてきたポンポさんとて例外ではない。

そんな全ての人の呪いに対する唯一の救いが、創作に夢みることである。創る人だけじゃなく、創っていない人でも、創作に夢や希望を見出すことはできる。応援することができる。それこそがこの作品の提示する唯一の救いだと感じた。原作には登場しなかった銀行員アランの存在が、創っていない人だけじゃなく、創れていない人間にとっての救いにもなっている。

彼の、もしくは、彼と同じ僕たちの感情を、肯定してもらえたように感じた。

この作品のすごいところはこれだけに留まらない。映画1本を作る話を、映画1本分の尺の中で見事に描ききっていることだ。創る人間は捨てる決断をしなければならない。感情が詰まったカットを捨てる判断は並大抵のものではない。序盤で15秒のカットに苦心したジーンが、2時間弱もある尺の中で苦しみ、見出すことになる。

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つい最近仕事に関して書いたポエム。想いを込めて作ったものを捨てる苦しみを身をもって感じていたこともあって、本当に深く心に刺さったし、勇気をもらえた。

全ての人に憧れという救いを提示しつつも、執拗に生みの苦しみまでを描き切っている今作は、創作というものに妥協することなく向き合っている限りなく真摯な作品なのではないだろうか。

これを読んでくれた人は、ぜひ劇場に足を運んでみてほしいと思う。


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