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2種類の最後

大学院最後の授業が終わった。まだ研究でもらう単位は残っているけど、時間割が埋まる授業は今日が最後だった。最後の授業だからといって特別なことはなかったし、感慨深さもなかった。むしろ全く意識すらしていなくて、もしかして最後だった?と気づいたのは3分ほど前だ。

社会人になっても、もしかしたら授業を受ける機会はあるのかもしれないけど、自分が学生として教室に行って、みんなで同じ勉強をすることは今後きっとない。

高3のとき担任の先生から聞いた、最後には2種類あるという話を思い出した。
「最後には、あらかじめ決定されている最後と、後から振り返って気づく最後がある。ほとんどのことは後者だ。人との別れも同じで、ほとんどの人とは、無意識のうちに別れている」

この話を聞いたときには高校生活が残り少なくなっていたこともあり、私はなんだかとても寂しくなった。今仲良くしているクラスメイトの中にも、いつの間にか一生会わなくなってしまう人がいるのだろうか。それはとても悲しいことだから、できるだけ連絡をとり続けよう。最後のお別れになるかもしれない時は、ちゃんと意識しよう。そう思った。

高校を卒業して以来、何年も会っていないクラスメイトがいる状態が長くなってきて、自分の考え方が変わったように感じている。
もちろん、また会いたいと思える人がいることは幸せなことだと思う。でも、二度と会えなくなってしまうことは、必要以上に恐れなくていい。
それよりも、その時にその人と出会ったこと、楽しい時間を過ごしたことが大切。もしかしたらまた会えるかもしれないし、会えないかもしれない。
でも、その人と一度でも会ったという事実は必ず残る。その人と出会った自分で、これからの人生を生きていくことができる。

出会えたのだから、良い。
そう思うようになった。

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