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研究室が変な場所にあるせいで

私が所属している研究室は、大学のキャンパス本体から少し離れたところにある、実験棟が乱立しているエリアにある。
大きい実験設備をけっこうな頻度で使うから実験棟の横に学生部屋もあったら便利だよねっ!という意図で配置されたのは誰が見ても明らか。
同じ学科の他の研究室はだいたいキャンパスのメインの建物にあるので、いつも場所を伝えるのに苦労する。
「研究室何階?」
「この建物じゃないんだよね」
という会話は同期の知り合い全員とした記憶がある。
何館の何階でもなくて、道路を渡った向こう側のあの建物なんです。

その立地は実験をするのには便利だけど、キャンパス本体で用事があるときは少し面倒だ。
外を歩く時間は少なければ少ない方が嬉しい季節が多すぎる。

今日も、ブラインドの隙間から見える外の光はとても眩しくて、夏を全力でアピールしている。
せっかく暑くならないうちに研究室に来たり、涼しくなるのを待って帰ったりしているというのに、学年が上がって授業の数が減っても、昼ごはんのための遠征だけは避けられない。
もちろん学食もキャンパス本体の方にしかない。

研究室の同期に誘われた時が昼ごはんのタイミング。部屋を出る。
靴箱の前は、室内の空気と外の空気が混ざって、変な暖かさになっていた。
そこでいつも、外に出たくないと全員が言い出す。
「あっち側までトンネル通したいよね、マイクラみたいに掘って」
「それか、橋を渡すのもありじゃね?」
夏と冬と雨の日はこんな会話を毎回繰り返している。
「呪文で移動しよう」
と研究室のエースに言わせる暑さ、恐ろしい。
ちなみに全員工学部で電気電子工学を専攻している。

キャンパス本体の方にみんなで移動するたびに、私は『やかまし村の子供たち』の映画を思い出す。
北欧の田舎の3軒並んだ家に暮らす少年と少女たちのお話で、幼いころによく見ていた。
ひとりっ子で、近くに住んでいる親戚も友だちもいなかったので、みんなで遊んだり家の手伝いをしたりクリスマスの準備をしたりする子供たちがとても楽しそうで、羨ましかったのを覚えている。

中でもお気に入りは屋根裏部屋のシーン。
自分も屋根裏部屋で遊びたいから見せてくれと親にお願いしたのを覚えている。マンションだから屋根裏部屋はないと知って大変ショックだった。
それでも屋根裏部屋を諦めきれていなかった私は、ある日祖母の家の屋根裏から大きなハチの巣が見つかったと聞きつけて、ハチの巣に驚くのよりも先に、屋根裏が身近にあったことを喜んだ。
そして、夏休みに遊びに行ったときに、祖母に頼んで屋根裏に連れて行ってもらった。とうとう屋根裏部屋が見られる、とわくわくしながら祖母が開けた扉の中を覗き込んだのだが、そこは部屋と呼べるような場所ではなく、屋根と一階の間にできたただの空間だった。梁と一階の天井を見学して、期待の屋根裏部屋探訪ツアーは終了した。祖母も、私がなぜそんな場所を見たがったのか不思議がっていた。
今でも、屋根裏部屋と聞くとちょっとわくわくしてしまうのは、この映画のせいだと思っている。

やかまし村は街から遠く離れたところにあって、子供たちはみんなで学校まで時間をかけて歩いて行く。雪がひどくなりそうなときは、やかまし村の子供たちはもう帰りなさい、とみんなより早く家に帰される。
子供たちが通う距離に比べたら全然たいした距離ではないのだけど、授業の20分前に研究室を出て、みんなでぞろぞろとキャンパス本体に向かって歩いている時、私は決まって、大雪の中家に帰るやかまし村の子供たちを思い出す。

外に出なければならないことに対して今日も一通り文句を言い終えた私たちは、観念して研究室棟の外に出た。
茶色い猫がいた。
猫は人間には通れない幅の日陰の中を器用に歩いていた。
猫とよく出会えるのは、この研究室の立地の唯一の良いところかもしれない。
私たちは日向からしばらく猫を眺めて、いつものようにキャンパス本体の学食に向かってだらだらと歩いた。

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