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オリーブ

先輩と頻繁に会っていた時は、よく話しかけたり、話しかけられたりしていた。

私がタイツを履いていた日には、タイツとストッキングってどう違うの?って聞かれた。変な毛玉がついていませんようにと願いながら、「ストッキングが肌色のやつ?」「黒のストッキングもあるかも」「じゃあ足の先まで覆われてるのがタイツ?」「足の先がないのはスパッツだと思います。薄いやつがストッキングですかね」という会話をしたことを覚えている。
そういえばその時調べた結果をまだ先輩に伝えていない。私は先輩が絡むとむきになってしまう。話していてわからないことがあると悔しくて、家に帰ってから必ず調べる。先輩の話を全部理解したいし置いて行かれたくない。普通の後輩だと思われたくなかった。こいつにはなんでも話せると思ってほしい。先輩が持っている知識をセーブしないで話せる相手でありたい。先輩のせいで私は少し賢くなった。
あれから4年は経ったけど、先輩がタイツとストッキングの定義を知る機会はあっただろうか。

そんな会話が私は大好きだったから、大切にしすぎた。たまにしか会わなくなってから、先輩に会えること自体がビッグイベントになってしまう。それだけで心が舞い上がってしまって高い木に引っかかって、降りられなくなる。ハリーポッターが箒に乗って羽がついた大量の鍵の中から正解の鍵を探すシーンのように、会いたかったです、とか、顔が良いですね、というファンがかけるような、きっとどう返したらいいのかわからなくなる言葉たちだけが頭の中をぐるぐると飛び回って、何を言ったらいいのかわからなくなってしまう。話しかけたいのに、顔を見て満足して、お疲れ様です、と言うのが精一杯になってしまった。先輩もそんな私を見て、怪訝な顔をして、お疲れ、と返してくるだけだった。

でも、このまま話さなくなってしまうのは悲しいな、と会うたびに思っていたから、先日会った時はかばんに猫のキーホルダーをつけて行った。何年か前に、映画館の半券を持って行くと一回だけ無料で遊ばせてくれるUFOキャッチャーで友だちが偶然成功して取ったのを、なぜか私がもらうことになってずっと家にあったものだ。どうしても今日も話すことが思い浮かばなかったら、このキーホルダーを見せよう。猫です、と言うことしか決めていなかったけど、少しは話せるだろう。猫だけでもかわいいと言ってもらえたら嬉しい。先輩が猫派ということは知っていた。ここまでしないと話せないけど、ここまでしてでも話したかった。先輩と話すことは楽しいという記憶だけはどんどん自分の中でぐんぐん成長し続けている。

会った日の帰り道、歩道の植え込みに、実がなっている小さな木があるのを見つけた。オリーブだね、と教えられた。サブウェイでパンに挟まっているやつでも、オイルになっているやつでもなく、木になっているオリーブを見たのは初めてかもしれないな、とちょっと感動した。オリーブが曲名に入った曲があったような気がして、思い出そうとした。札束を広げる動作をしなければいけないような気になる曲。
その時、先輩が『オリーブの首飾り』を歌い出した。
それだ、と思わず敬語も忘れた。思い出せたことに感謝を伝えようと先輩の方を向くと、「この曲知ってたんだ」と言われた。とても誇らしかった。先輩が発したものを上手に受け取れたのだと安心した。話すに値する相手だと認めてもらえたような気がした。でも、先輩はそんなことで話す人を選んだりはしていなかったのだ。私が勝手に先輩に話しかけてもいい人像のようなものを作り上げて、勝手に自信を失っていたのかもしれないな、と思った。先輩と話したがっていることも、知識をつけて頑張って追いつこうとしていることも、全部見透かされていて、気味悪がられているのではと思っていた。それは私が私自身に対して感じていたことだったのだ。先輩のせいにして、勝手に気まずくなっていたのは私だけだった。先輩はきっと何も変わっていなかった。
夏の日差しがめらめらと差していて、生い茂った緑の中から蝉の鳴き声が聞こえていた。あの瞬間の景色をビー玉に閉じ込めて、ずっとお守りにしたいなと思った。

それから駅に着くまで、先輩と並んで歩いた。よくこうやって歩いて、歩くのが速いと文句を言ったな、と思い出した。先輩は私と身長が同じぐらいなのに、気合を入れて早歩きをしないと置いていかれそうになる。ペースを人に合わせたりなんかしないところも、先輩らしくてとてもかっこいいと思っていた。
今まで何を話したらいいのかわからなかったのが嘘みたいに、話したいことが次々に出てきた。同期がどこどこに就職するらしいですよ、とか、その服いいですね、とか、用意していなかったことが頭の中から出てきた。自分の言葉がしっかりと地面の上を歩いているのを感じた。
猫のキーホルダーの話は結局しなかった。

オリーブの花言葉は「平和」と「知恵」だということは、後で調べて知った。
これから私はオリーブを見たら先輩のことを思い浮かべるんだろうな、と思った。

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