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『演技と身体』Vol.4 可動域=柔軟性×脳の可塑性

可動域=柔軟性×脳の可塑性

ビバ&ファッキン 現代都市生活

今日は身体の”可動域”について書いていこうと思う。
みなさんは普段生活の中でどのくらいの範囲で身体を動かしているだろうか。例えば僕の今日一日を振り返ってみると、一番腕を高く上げたのがコーヒーをドリップする際にヤカンを持ち上げた時、膝を曲げたのは冷蔵庫から食材を取り出すためにしゃがんだ時くらい、とまあそんなものだ。
ああ、現代都市生活とはなんと楽ちんなのだろう。舗装された安全な道を10分も歩けば必要なものは揃うし、揃わなければネットで注文して自宅まで届けてもらえるし、生活における重労働は機械化されている。逆に言えば、都市で普通に生活している限り、身体の可動域は次第に限定されていってしまう。
演技において当然ながら身体の可動域は広い方が良い。身体の可動範囲は表現の範囲だからだ。しかし、上で述べたように普通に生活していたら四十肩まっしぐらである。すると、意識的に身体の可動範囲を広げるか都市を離れてエクストリームな環境で暮らすかのどちらかである。エクストリームな環境での暮らしについては僕から言えることはあまりないので、可動範囲を広げるのにどんな意識が役に立つのかを話していきたい。
(一応ことわっておくと、この記事はいくつかの文献と個人的な実感のみに基づいて書いているものなので、仮説の域を出ないものである。あまり真に受け過ぎぬよう。)

ストレッチで十分か


身体の可動範囲を決めるのはなんと言っても身体の柔軟性だ。さあ、ストレッチをしましょう!と言ってしまえば話はそれで済むのだが、あえてもう少し話をややこしくしたい。
ストレッチの重要性はことさら言うまでもない。これは可動範囲に関わるだけでなく、身体の安定性にとっても大切だ。
しかし、僕は従来のストレッチだけではどうも物足りなさを感じてしまう。もちろんただ健康の維持を目的とするならそれで結構だろうけど、「表現」という立場からするとあまり芸術的な感じがしない。
もう少しちゃんと言うと、よくあるストレッチの動きというのはあらかじめ決まった動きを遂行するわけだが、それはつまり脳からのトップダウンによって動きが決まっていることになる。
ここで普段の生活での身体の動きに話を戻そう。そこで問題になるのは、ただ身体の可動範囲が狭いということだけではない。動きがパターン化しているということだ。

脳の可塑性に注目する

かつて脳の研究では脳の局部の働きが主な関心事項だった。例えば、言語は左脳が司っていて、芸術は右脳だよね、みたいな。しかし、実際には脳の活動というのはある一つの活動においても多くの箇所が分散的に働いていて、それを繋ぐネットワークの働きが重要であるということがわかってきている(らしい)。
そしてそのネットワークは行動に慣れるうちにパターン化することで作業の効率化や技術の熟練に貢献しているというわけだ。
他方で、人の脳には可塑性がある。可塑性があるというのは粘土のように何度も形を変えられるような感じだ。つまり、決まり切った脳のネットワークのパターンから抜け出して新しいネットワークをいつでも作り出せるというわけだ。そしていわゆる創造性と言われるものにはこうした脳の可塑性が大きく関連している(それだけというわけではない)。
普段の生活における全ての動きは脳のネットワークに支えられている。そして、それは大抵の場合パターン化している。箸の持ち方ばかりではなく、箸の持ち上げ方や置き方までが脳のネットワークが固定化することでパターン化しているのだ。つまり生活の中では可動”範囲”だけではなく、可動の”仕方”までもが固定化されてしまっているのだ。しかし、これは演技にとってはいささか不都合なところもある。役が変われば箸の持ち上げ方も変わるかもしれないからだ。

動きのパターンを生む


ブラッド・ピットの食事シーンをまとめた動画を観たことがあるだろうか。身体の動かし方が役作りにいかに影響するかがよくわかる。試しに、目の前にコップを置いて、口に運ぶまでの動きを10パターン試してみると、思いの外難しいとわかる。頭でパッと思いつくパターンはせいぜい5〜6くらいなのではないだろうか。しかし、この時多くの人はいつも使っている身体の同じ部位しか動かしていない。コップを持ち上げるのに使うのは腕や肘だけではない。手首は動いているか?指の動きは?骨盤や背中はどうだろうか? それらの動きのバリエーションと組み合わせを考えるとパターンは無限に出てきそうだ。身体の可動域は、一度の動きの時に体の多くの部位が別々に動くことでグッと広がりを持つ。
また、視点を変えて、身体の動きではなくコップと口の関係に注目してみるのも良い。決まり切った直線的な関係から脱して、放物線を描いてコップを口まで動かしてみたり、それぞれが真っ直ぐ動いて直角を描いてみたり。
(こうした関係性の構築やイメージ思考についてはまた別の時に詳しく書くつもりである)

脳の可塑性を引き出す

ここで再びストレッチの話だ。
従来のストレッチは悪いものではないが、脳の可塑性の観点から考えると、可動範囲を広げるものではあるが、可動の仕方を固定してしまう側面があるように思える。
その問題を解消する方法はいくつかあるだろうが、まず一つ考えられるのは、普通のストレッチに少し手を加えるものだ。
例えば、脚を伸ばして立ち、両手を床に向かって伸ばす(要は前屈だ)。どこまで手が届いたかを覚えておく。そしてそのまま両手の甲同士をくっつけて(何でも良い。とにかく脳にとって新しい動き〔情報〕を送り)さらに伸ばす。すると、さっきより少しだけ伸びたりする。こんな単純なことでも脳のネットワークはパターンから抜け出して更新されるのだ。
(とはいえ、ストレッチの方法については世の中に専門家がたくさんいるので、それらを参考に正しくやるのが良いだろう。)
あとは普段生活でしない変なポーズをしてみよう。人生で一度もしたことのないポーズがたくさんあるはずだ(思い付かない人はミランダ・ジュライを参考にしよう)。
脳の可塑性は、脳から体へのトップダウンではなく、体から脳へのボトムアップによって発揮される。だから、頭では考え付かないような変なポーズをして(無理のない範囲で)体を伸ばしてみる。
演技をしていて咄嗟の反応が求められる場面で身体がどう動くか。それを決めるのは脳のネットワークの自由度なのかもしれない。

このように、身体の可動域について考える時に、単に体の柔軟性だけでなく、脳の可塑性について考えることで、可動の”仕方”という観点が生まれてくる。そして、可動の”仕方”こそが表現なのである。
書ききれなかったこともあるがそれはまた別の機会に。


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