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「自分を大切にする」ことの向こう側

「自分を大切にしなさい」

そう言われた時、一体どうしたらいいんだろう。
確かに蔑ろにしていたなと思う部分もあるかもしれない。
それでもきっとみんな、自分なりに自分を大切にしているつもりだろうし、その上でどうしたらいいかわからないなんてこともあるのではないか。

僕も、「自分を大切にしてあげてね」と言ってきた。
でも、もしかしたら相手にとっては、それが何をすることなのかわかっていなかったのかもしれない。

どうしたらうまく伝わるだろう。
「自分を大切にする」ということがもう少し浸透するための、何かが必要なのかもしれない。

今、僕が思っていることを、つらつらと綴っていく。

背景

そもそも、こんなnoteを執筆しようと思ったのは、友人の話を聞いていた時に、「もしかしたら、この人は自分のことを大切にできていないのかも?」という疑問がふと湧いたからだ。
思ったら聞いてしまうたちなので、その旨をふと伝えてみた。
「自分のこと、大切にできてる?」、と。

僕は、当初、「ああ、あんま大切にできていなかったかも」なんて答えが帰ってくるもんだと思っていた。
そうやって、自分が大切にできていない範囲に目を向ければ、自ずと大切にできていない部分を大切にしていくだろうし、その範囲が広がれば、自分をちゃんと大切にできているということにつながるのだろうと思っていたから。

しかし、友人は、「大切にしている」(つもり、と言っていたかも)という返答をくれた。
これは僕には予想外だった。
「自分を大切にしていたら、その悩みは抱えないと思うんだ...」なんてことを心に思ったりした。
そしたら、なぜこの友人はこんな悩みを抱えているのだろうと率直に思った。

そこで、ふと、無意識のうちに口走ったのが、このnoteの執筆となる問いだった。

「大切にされたいと思っている自分は、大切にされているの?」

無意識に口走っていたが、「ああ、これだ」と思い、noteを書くに至る。

大切にする人、大切にされる人

「自分のことを大切にする」ということは、「大切にされる自分」も存在しているはずだ。

これは、他者に置き換えてみるととても分かりやすい。
「私が恋人/友人を大切にする」ことと、「恋人/友人が私に大切にされている」(と感じる)ことは全く別だろう。

例を挙げるなら、何か問題が起きて困っている人に対して、「解決策を与える/一緒に考える」ことが大切にする(或いは、優しくするに言い換えてもいい)ことだと思っている人が、「共感される」ことで大切にされていると感じる人に対して、アドバイスを与えても、大切にしてはいる(つもりである)が、大切にされているという(と感じられる)ことにはならないだろう。

他者に置き換えてみればわかるのだが、これが自分自身の内部に起きているという感覚、伝わるだろうか。

「大切にする」こと

「自分のこと、大切にしてあげてね」
自分のことを、もっと労ろう(大切にしよう)

こんな言葉はよく聞くのに、もっと自分に大切にされようという話を聞いたことがない。

行為の主体としての自分は存在しているのに、その行為を受け取る自分については存在がイマイチ認識されていないように思えてならない。
しかし、当然行為があれば、その行為の主体と、行為を受け取る存在があるはずだ。
主体に対する認識だけでは、その対象を大切にしたことにはならない。
ここでは行為の主体と、その対象側の視点でも考える必要がある。

対象のことを考えずに、「自分が大切にする」という行為を行うことは、大切にしているという自己満足にすぎず、本当の意味では大切にできていないのだ。

「大切にされる」ということ

「自分を大切にする」ということは、大切にすることが本丸なわけではない。
大切にされていない状態があるが、自分と一番長く付き合うのは自分であるが故に、その自分こそがその大切にされていない自分を大切にするのである。
これが本丸なはずなのに、「自分を大切に」という合言葉が一人歩きしているように思う。

今一度「自分が大切にされる」ということを認識していく必要があるだろう。

ここで大事なのは、

1. 自分は大切にされていいと思えること
2. 自分が何をしたら大切にされていると感じられるのかがわかること

自分が本当は何を望んでいるのかということを、満たしてあげることが、「自分を大切にする」ということだ。

仕事も、お金を稼ぐことも、一切考えなくてよくなったらどうしたい?
どういう状態なら、心が満たされた状態になる?

「何かをしないといけない」という欠乏状態ではなく、もっとも心が安らぐことは何か?
自分が何をしてみたいと感じているのか?

こうした、自分が「大切にされる」と感じることを、大切にする自分に対してリクエストしていく必要がある。
今私、こうされたいんだ。ということ。
それを発見していくことが、「大切にされる自分」としての営みなのだろう。

そして、大切にする自分は、こうした「大切にされたいと願う自分の心の声」に耳を傾けてあげること、さらにそれを表現することで、「自分を大切にできる」し、「自分は大切にされる」のだと思う。

「大切にする」の向こう側へ

無論、ここまで書いたことは、自分以外の他者との関係性においても重要になってくる。
自分がすることが、必ずしも相手のためになっているとは限らない。
だからこそ、相手の声に耳を傾けることが大事だし、そうやって関係性は成り立っていくものだろう。

冒頭で書いた友人との話が終わった後に、ふとこんなツイートをしていた。
「自分を大切にする」と言った時に、思い返して欲しい問いでもある。

自分のことを大切にするということの向こう側にいる、大切にされる自分。
彼/彼女の願いに、耳を傾けてあげられていますか?

「自分を大切にする」ことが、エゴではなく、
「大切にされる自分」が、どう大切にされたいのかをリクエストして、
本当の意味での「大切にする/される」が両者平等に成立することを願って。

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