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ゆララ♪ゆリラ♪

ゆララ♪ゆリラ♪

ゆら ゆら ゆララ
ゆら ゆら ゆリラ
ゆら ゆら ゆララ
ゆら ゆら ゆリラ

ゆうら ゆら ゆうララ
ゆうら ゆら ゆリラ
ゆうら ゆら ゆララ
ゆら ゆら ゆリヒラ

ゆうら ゆうら ゆララ
ゆうら ゆうら ゆリラ
ゆうら ゆうら ゆララ
ゆうら ゆうら ゆリラ
ゆうら ゆうら ゆララ
ゆうら ゆララ


1.子守唄

まず、この詩は『子守唄』である。

実際に今日で生後半年を迎えた子をあやし、眠りにつかせるときに湧きあがった律動、旋律、言葉などからなっている。

動画音声は、実際に子を抱えたまま録音したもので、そのさなか子は眠りについていったという唄である。

(無論、歌の良し悪しに関しては悪しからず。。。)

可愛い子にむけて唄ってみるのも、心を安らぎへと導いてくれる。(うちの子は安らいでいる様子)


2.讃美歌

次に、この歌は『讃美歌』である。

ゆらゆらとゆらぎ、絶え間ない変化のなかにあるこの宇宙万象は「神の遊戯」と喩えられる。

神の遊戯  - リラ -

サンスクリット語でliraリーラーと呼ばれている言葉の示すところは、この宇宙は『神の遊戯』とでもしか言いようがない、あるいは仮に言葉にするのなら『神の遊戯』がふさわしい、とでもいったところである。

ここでは『神』という言葉を使っているが、それは"森羅万象・自然・ひとりでにそうである働き・すべてのすべての物事・不可思議な働き"などなどに対する言葉である。

さて。

我々はこの"神の遊戯"を観ている"鑑賞者"なのである。

故に、この"映画"のなかで何が起ころうと、ゆララ♪ ゆリラ♪と、悠自適に遊びまわっている神を"鑑賞する"のみである。

リラを賛美して歌ってみるのも、心を安らぎへと導いてくれる。


3.呪文

最後に、この詩は『呪文』である。

『呪文』の『呪』の字はのろうという字のため、あまり良い印象を与えることも受けることもない言葉ではあるが……

ヨガの呪文としては、何かを呪うためのものではなく、気づいておくための言葉という側面を持つ。

それはつまり、近年のヨガ界を含め、ちまたで流行っているらしい「マインドフルネス」と同じであり、

また、あの『般若心経』のなかで「大神呪、大明呪、無上呪、無等等呪」などと大賛辞を受けている呪と同じ効果を内包しているのである。以下その呪である。

漢語
羯諦ぎゃあてい 羯諦ぎゃあてい 波羅 羯諦はら ぎゃあてい 波羅 僧羯諦はらそう ぎゃあてい 菩提 僧莎訶ぼじ そわか

サンスクリット語
gateガーテー gateガーテー pāra gateパーラー ガーテー pāra-samgateパーラ サンガーテー bodhi svāhāボーディ スワーハー

この呪と同じく、この詩を間違えることなく唱えるためには常に気づいている(注意している)必要があるということである。

つまりこの呪は、不注意なときに知らず知らず間違えたり、どこを唱えているのか分からなくなったりするよう仕組まれているのである。

故に、この詩を間違えないように繰り返し唱えることにより注意力が増し、やがては目覚め(気づきそのものとして在ること)が起こり得るのである。

瞑想時に注意深く唱えてみるのも、心を安らぎへと導いてくれる。

 参考


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