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未来の潔癖症とくらし

微生物や菌は、我々の健康を害することもある一方で、うまく扱えば我々の健康を向上させてくれます。微生物や菌のデザインが発展すれば、菌が生存していることこそ我々の生存にとって重要である、と皆が当たり前に考える時代がくるのかも。そう考えると、未来の消毒観や「潔癖症」も変わりそうです。

最近は、建築の中でも微生物マップなどをうまく活用した設計手法もあります。こうした手法では、健全で人の健康に対して有効な菌をうまく保全することを検討しています。

菌がいることが汚いのではなく、むしろ「えっ、菌殺さないでよ!」という強迫観念が生まれるのかもしれません。「菌が死ぬから」と風呂に入らない人や、ボディソープを使わない人も増えるかも。リアル「両津勘吉」は、バイオテクノロジーの普及で一般化するのかもしれません。

思い込みと宗教空間

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僕たちはこうした微生物との共存を考えて、空間や街をつくっていくことを考えていかなければならないのではないかと思うのです。

しかしそれでも、微生物や菌への恐怖が「みえないものへの恐怖」であれば、不気味な雰囲気は常につきまわるし、そうした恐怖のなかで暮らすことは人にとって容易ではないでしょう。

こうした中で僕が今後のBio Designでもっと参考にした方がいいのではないかと思うのは「宗教空間」です。

「微生物と共存する暮らし」は「精霊と共存する暮らし」と言い換えたとたんにその輝きの度合いを変えるのではないかな、と思うのですね。「微生物がいるかもしれない気持ち悪さ」をどうやって「目に見えない神聖さ」へと読み替えさせる空間をつくるか、ということがとっても重要になる気がするわけです。

宗教空間は「みえない神の存在と神聖さ」を感じさせる演出が数多く施されています。西洋で言えば象徴的な天窓からの光、日本でいえば神社などの「隠す」ことにより参拝者の想像を掻き立てる部分など。

こうした「不在を神聖な存在へと昇華する」表現は、今後の清潔に関する概念と微生物と共存する建築デザインにおいて、とても重要になっていくのではないか、と考えています。

微生物や菌との共存の生活のなかで、機能的には共存の概念が必要と理解しつつも、やはり受け入れられない人もたくさんいる。そうした人と微生物=みえないものの共存関係を築くために、微生物たちを「精霊」とみなして、精霊と暮らしているような生活空間をつくる。そのときに「みえないものを神聖なものへと演出する宗教空間」を参考にする必要があるのではないか。そんなことを考えているわけです。

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